<2008年8月21日付日刊スポーツ紙面から><柔道:北京五輪>◇20日◇女子78キロ超級

 女子78キロ超級の塚田真希が逆転勝利で金メダルを手にした。

 鮮やかな逆転勝ちだった。ベルトランとの決勝。背負い落としで技ありを奪われ、抑え込まれた。終わった、はずだった。だが、いなした際に塚田の体の上をゴロンと相手が転がった。誰かが押してくれたかのようだった。「パニックになったけど、絶対に離すもんかと思った」。歯を食いしばり、120キロの体で起死回生の後ろけさ固めを決めた。豪快なだけでなく、実は寝技は得意。土壇場で練習が生きた。

 表彰台の真ん中で、涙と汗にまみれた丸い顔が笑うとさらに丸まった。いつも応援してくれた父浩さん(享年47)はいないが、3カ月前に奮起を誓った墓前へ最高の報告ができる。「うれしくて言葉にできない。準決勝で(ライバルの)孫福明が負け、追い風が吹いていると思った。勝てるではなく、勝つという気持ちで臨んだ」。気迫で奪った胸元の金メダルがさらに笑顔を輝かせた。

 初戦のマローンは開始21秒、小外刈りで1本勝ち。3回戦プロコフィエワは得意の体落としから、横四方固めで仕留めた。準決勝もドングザシビリに合わせ技で1本勝ちと、4戦圧勝。東海大の先輩井上が、前日にまさかの敗退。ショックを乗り越え、自分の柔道に集中した。

 高校時代はいつも試合会場に来てくれた父浩さんが病死したのは、東海大3年だった2年前の暮れ。周囲が心配するほど落ち込んでいたころ、井上からメールが届いた。「柔道で頑張ることがお父さんにとって一番うれしいんじゃないか」。やはり母を病気で失った井上に励まされた。「このメールは今も携帯電話に保存してあります」。

 さらに日本をたつ前には土浦日大高の後輩から手紙を受け取った。「自信とは自分を信じること。どうしても先輩に言っておきたかった」。若い子がメールではなく直筆であてた文章に感動した。「自信を忘れずいきたい」。この日は自信の塊と化し、強気に前へ前へと圧力をかけた。

 一昨年の全日本女子選抜で初優勝してから、国内で78キロ超級のトップの座を守り続けるエースが、女子最重量級では日本初の金メダルをもたらした。「柔道という競技が終わるので、最後に(金が取れて)良かった」。天国でハラハラしていた父も涙を流して、喜んでいるはずだ。◆塚田真希(つかだ・まき)

 1982年(昭57)1月5日、茨城県下妻市生まれ。12歳から下妻中柔道部で柔道を始め、土浦日大高―東海大を経て、綜合警備保障に所属。同時に東海大大学院も修了。全日本女子選手権7連覇は史上最多。アテネ五輪78キロ超級金メダル、03年世界選手権2位、05年同3位、07年同2位、無差別級優勝。家族は母、妹。身長170センチ。体重125キロは、日本選手団約570人中、男子を含めても最重量。