テレビのニュースで、イチローが投球する姿を見て、鳥肌が立つような思いがしました。
ついにやったのか。このタイミングでか。ごっついな。イチロー。テレビ画面に思わず、独り言をつぶやいてしまいました。
イチロー投手。このフレーズには「青春」というと気恥ずかしい当時31歳の私にとっては深い思い入れがあるのです。手前みそで申し訳ありませんが、今回はその話を書かせていただきます。
野球記者になってあまり間がない94年にその記事を書きました。この年、史上初の200安打で彗星(すいせい)のごとくスターダムにのし上がったイチローですが、同時に仰木彬監督就任1年目のオリックス・ブルーウェーブもいきなり西武との優勝争いを展開したのです。
その正念場。首位西武を3ゲーム差で追っていた2位オリックスは9月16日から西武をグリーンスタジアム神戸(当時)に迎えての直接対決4連戦を戦ったのです。しかし、ここでまさかの4連敗。
「イチロー投手もやっちゃう」という見出しのその記事はその4連敗目を喫した19日に書き、20日付の日刊スポーツで1面を飾りました。
いわゆる与太話ではなく、関係者全員が本気だったので、翌95年にも実現するのか思っていました。しかし阪神大震災からの「がんばろう神戸」で必死で戦うチームに、そんなムードはなく封印されることになりました。
実現したのは有名な、あの96年の球宴です。東京ドームで巨人松井の場面で登板したところ、全セの指揮を執ったヤクルト野村監督が投手の高津を代打で送ったのでした。
月日が経ち、2000年オフ、イチローの大リーグ挑戦が決定しました。当時、私はすでにオリックス担当、イチロー担当を離れていたのですが、身内に大きな不幸があったことでわざわざ電話をくれるなど、イチローには心配をかけていました。
そして年が明け、01年。いよいよ米国へ出発という前夜だったと記憶しますが、こちらから電話をしました。すぐに出たイチローを激励をするとともに、会話は自然に「大リーグでも投げたらええんちゃう。向こうは野手が投げるらしいやんか?」という軽口に変わっていました。
ご承知のとおり、大リーグでは基本的に引き分けがない上に、登板しない先発投手がベンチ入りする事情で、野手が登板する機会がたまにあります。あきらかに日本球界よりは多いでしょう。
そこでイチローが投げる機会もあるかもと思い、そう水を向けたのでした。するとイチローは「それはもちろん。やってみたいですね」とキッパリ話したのです。思慮深い彼にしてはめずらしいことでした。「いっちょ、盛り上げたろ!」とその話も1面になりました。
渡米前後、実際にイチローが神戸での自主トレでマウンドに立つところを見ましたが、スピードガンで150キロ以上を記録していました。今回、思うように球速が上がらず、ガックリきたというのも、いかにもイチローらしいなあ、と笑ってしまいました。
それにしても「イチロー投手」の話題が初めて世に出た94年、イチローは20歳でした。そして大リーグ挑戦は27歳の年。それから15年。イチローはこの10月22日に42歳になります。
大リーグでバリバリの現役野手でいることだけでも驚異的というか前例がないのに、あのときの投手への思いを今、かなえてしまう…。
「野球をやっている人間にとって投手は特別なものなんです」。イチローはよく言いました。
そして大リーグという舞台で、その思いを実現させた。自らのすべてを野球にささげるイチローの飽くなき闘争心を思うと、なぜか震えがきて仕方がないのです。



