日本一が花道だ! 広島黒田博樹投手(41)が18日、今季限りで現役を引退すると発表した。25年ぶりに進出する日本シリーズに向けた全体練習前にナインに自らの口で決断を告げ、広島市内のホテルで会見を行った。完投が果たせなくなったことで引き際を悟り、ファンやチームメートに最後のマウンドを見せる思いから、シリーズ開幕前の公表を選んだ。集大成となる日本シリーズの先発は23日、第2戦マツダスタジアムのマウンドが有力視される。

 黒田らしい、引き際だった。7年連続2桁勝利を挙げ、チームの25年ぶり優勝に大きく貢献した。チームメートとの歓喜が迷いを断ち切ってくれた。日米で過ごした20年間の現役生活に自らピリオドを打った。

 「やっぱり今まで先発して完投するスタイルでやってきて、9回を投げきれない体になったところで、他の選手に対しても示すことができない歯がゆさが常にあった。そういう部分が大きかった」

 41歳となり、迎えたプロ20年目。今季も序盤は快調に白星を積み重ねた。4月まで登板6戦で4勝をマーク。4月2日巨人戦では日本復帰後初完封を挙げた。だが、5月に首のしびれと右肩痛で離脱。その後日米通算200勝を達成し、最終戦で今季10勝目を挙げた。だが、夏場以降は7回以前に降板する試合も増えた。DeNAとのCSファイナルステージでは14日の第3戦に先発し、5回7安打3失点だった。

 これまで去就は、シーズン終了後に決断してきた。今季はリーグ優勝を決めた後、9月中旬に引退の意思を固めた。前日17日に正式に球団から了承された。「やっぱり一番は一緒に戦ってきた仲間。監督、コーチ、裏方を含めて一番に伝えたかった」。黒田の流儀だった。引退会見前、本拠地マツダスタジアムで全体練習が始まる1時間以上も前からグラウンドで1人、調整を終えた。その後、集まったチームメートに報告。午後7時、広島市内のホテルで引退会見を開いた。「ファンの人に対しても、真剣勝負する前に伝えないといけない気持ちがあったのでホッとした気持ちはあります」。時折笑みを浮かべながら、自分の思いを言葉に乗せた。

 プロで野球の厳しさを知り、努力ではい上がってきた。30歳を過ぎて海を渡り、世界でもその名を示した。「1球の重み」を求め、帰ってきた広島で、伝説となった。「自分の引き際を間違えないために、今まで一生懸命やって来た部分もある。自分の中でこういう引き際を選べたというのは、よくやってきた気持ちが強いですね」。どこか誇らしげだった。

 22日に始まる日本シリーズがまだ残っている。先発はマツダスタジアムでの第2戦が予想される。まだ夢には続きがある。黒田は自分で、夢を完結させる。【前原淳】

 ◆黒田博樹(くろだ・ひろき)1975年(昭50)2月10日生まれ、大阪府出身。上宮-専大を経て96年ドラフト2位(逆指名)で広島。05年最多勝、06年最優秀防御率。07年オフにFAでドジャース。09年開幕勝利。12年ヤンキース移籍。15年広島復帰。大リーグ通算79勝は野茂(123勝)に次ぐ日本人2位。父一博氏(故人)は南海などで外野手、内野手。185センチ、93キロ、右投げ右打ち。推定年俸6億円。家族は夫人と2女。

 ◆日本一で引退 通算200勝以上の投手では69年金田正一(巨人)、88年東尾修(西武)が引退の年に日本シリーズで登板。チームが日本一となった。野手では81年巨人の柴田勲、松原誠が経験。松原はシリーズで江夏(日本ハム)から代打同点本塁打を放った。広島の主な選手では山本浩二が現役最後の86年に日本シリーズに出場したが、西武に3勝4敗1分けで敗れ、日本一に届かず。