日本プロレス界で猪木、馬場らと死闘を繰り広げたビル・ロビンソンさんが米アーカンソー州リトルロックで死去していたことが4日、分かった。74歳だった。68年4月の初来日後、「ダブルアーム・スープレックス」を日本で初披露し、「人間風車」の異名を取った。新日本、全日本などにも参戦し、引退後も一時は日本に定住して指導するなど、多くのレスラーに影響を与えた。

 昭和のマットを彩った外国人レスラーの訃報に、プロレス界が悲しみにくれた。世界をまたにかけて活躍したロビンソンさんが居住先の米国で亡くなった。3日(日本時間4日)、自宅を訪ね、返答がないことを不審に思った友人が中に入り、死去が確認された。

 66年に英国でデビューし、68年4月に国際プロレスに初来日。異名にもなった華麗なダブルアーム・スープレックス(人間風車)を日本で初披露し、ファンを驚嘆させた。それまでの外国人=悪者というイメージを拭い去る正統派レスラーで、女性、子どもからも人気を得た。

 75年12月、新日本に参戦し、東京・蔵前国技館でアントニオ猪木の持つNWFヘビー級王座に挑戦。60分引き分けとなった死闘は、プロレス史に残る伝説として、現在も語り継がれている。76年7月には全日本に初参戦。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田らとも多くの名勝負を繰り広げた。

 85年の現役引退後も日本との関係は続き、92年からはUWFインターナショナルのトレーナーを務めた。99年に設立されたUWFスネークピットジャパンでは、代表の宮戸優光氏に招かれ、コーチに就任。08年まで東京・高円寺に住み、英国の「蛇の穴」ビリー・ライレージム仕込みのレスリング技術を、若い選手に教え込んだ。

 20年以上、家族同様の付き合いを続けてきた宮戸氏は「おおらかで明るく、まじめで、みんなに愛された人だった。高円寺では私よりも、地元の店の人に知られているほどだった」と思い出を話した。同ジムとして、今月中にもしのぶ会を行う予定という。

 ◆ビル・ロビンソン

 1939年9月18日、英国マンチェスター生まれ。15歳でビリー・ライレージムに入門。国際プロレスでIWA世界ヘビー級王座、全日本でもUNヘビー級、PWFヘビー級王座を獲得。米国AWA世界タッグ王座も獲得した。ワンハンド・バックブリーカーも得意とした。現役時代は191センチ、118キロ。