<AKB卒業

 大島優子の真実(中)>

 「最初はAKBが嫌いでした」。今月9日の卒業公演で大島優子(25)が発した言葉は、ファンに驚きを与えた。もちろん今は「AKBは宝物。どの卒業生よりもずっとAKBの近くにいたい」と言うほど強い愛着を持っている。何が大島を変えたのか。それは仲間との「絆」だった。

 小6で両親が離婚した。子役として活動していたがドラマなどのオーディションも、落ちることが多かった。初代マネジャーには「子役上がりで伸びしろない」ときつく当たられた。周囲に信じられる大人が少なくなっていた。もともと男っぽい性格で、グループを作る女子も苦手だった。「AKB加入後も1年半は誰も信用していなくて誰とも仲良くせず、ジーッとみんなを観察していました」。

 転機は07年に訪れた。映画「伝染歌」の撮影のために1カ月半、同期の秋元才加(25)と同居した。素顔をさらけ出し、本気でけんかもできる間柄になった。宮沢佐江(23)には、狭い楽屋で汚れた布団で一緒に寝た時に「私たち親友だね」と言われた。野呂佳代(30)ら心を許せる仲間が増えていった。猫をかぶった優等生のふりから、本来のユーモアあふれ、型破りな部分を自然に出せるように変わっていった。

 卒業公演には、12年秋から今年春までキャプテンを務めた大島チームKの面々が集まった。後輩たちは口をそろえて「優子さんのチームで良かった。一番尊敬する人」と言った。実際にチーム改編直前の2月、自主的に演目を刷新し、底力と団結力を発揮していた。

 ところが、チーム空中分解の危機もあった。12年秋から劇場公演は、全員で一斉出演できない、先発と控えに分かれる体制になり、ほかのチーム同様、チームKも内部でぎくしゃくする空気に包まれた。キャプテンの大島は、やる気の見えにくいメンバーにはっきり注意した。しかし「優子さんはソロの女優仕事ばかりで、劇場公演に出られてないのに」と素直に受け入れられないメンバーもいた。それでも大島は、真正面からぶつかった。涙を流しながら全員と本音をぶつけ合い、絆を深めていった。

 昨年初め、「もうAKBでの個人的目標はなくなった」と言った。表情には満足感と達成感が漂っていた。仲間との絆が自分を羽ばたかせてくれたと感謝している。「だから最後は恩返しの1年でした」。チーム再生という大仕事も果たした大島にとって、一片の悔いもない卒業だった。【瀬津真也】