俳優の平幹二朗さん(享年82)が突然亡くなった。

 活動の軸足が舞台に置かれていたこともあり、取材する機会はほとんど無かったのだが、お宅が近所にあった関係で、しばしばお見かけした。

 最寄り駅のホームにトレンチコートを着て、すくっと立つ姿、電車の座席で老眼鏡をかけて読書をする姿…どれも絵になった。小田急線は東京メトロに乗り入れしているので、出演劇場が集中する銀座周辺へのアクセスは確かいい。それでも、電車通勤の名優にシンパシーを抱いたのは私だけではないだろう。

 ママチャリのような自転車で踏切を渡る姿を見かけたこともある。やや遠目の、意表を突くシチュエーションでも、ただならぬ存在感を放つ人だった。

 何をやっても絵になる人であり、意外な庶民感覚がほほ笑ましかった。飾らない、まっすぐな生き方が、そんなご近所ウオッチングからもうかがえた。

 まれに見る存在感と圧倒的な演技力を併せ持っていた平さんを「感じがいい」と形容するのは失礼な気がするが、取り繕うことのできない、体の芯からにじみ出るものだと思う。

 洋の東西、世代、培ってきたものにはあまりの違いがあるのだが、同じように感じの良さがにじみ出ていたのが、先日来日したレニー・ゼルウィガー(47)だ。年齢からいうと、これも失礼な言い方になるかもしれないが、こちらは何をやってもかわいらしい。

 出世作は「ブリジット・ジョーンズの日記」。12年ぶりのシリーズ新作「ダメな私の最後のモテ期」(29日公開)のPRで、イベントの舞台に立った。「日本では、食べたいものリストがパンパンに膨らんでいるんです。まずはラーメンです」。大女優ぶらない第一声は社交辞令にも聞こえるが、ほおを赤らめ、目を細めた表情は終始照れくさそうだった。

 最近は、タレントに限らず、街頭インタビューに答える子どもまで妙にテレビ慣れした様子だから、この「はにかみ」は新鮮だ。

 彼女が演じるブリジット・ジョーンズは新聞コラムから生まれた文字通り等身大の女性だ。95年、英インディペンデント紙に作家ヘレン・フィールディングさんが寄せた一文は、ロンドン在住の32歳、体重58キロの平凡な独身女性の視点で書かれていた。

 このコラムが人気を集め、01年に第1作、04年に続編「きれそうなわたしの12か月」と立て続けに映画化された。ヒロインのとんがりきらない口げんか、ジョークの丸みに英国的な匂いが感じられる。

 80年代半ば、たまたま取材が重なって、集中的に4度訪れたロンドンの記憶がブリジット=英国的のイメージに重なる。IRAのハロッズ爆弾事件から数年を経て平穏が戻り、パンク・ロック人気に陰りが見えた頃だった。木で鼻をくくったような人々もひと皮めくれば自虐的なユーモアをのぞかせた。深夜のライブハウスで遭遇した鼻ピアスのパンク男女も、目が合うと威嚇するより、照れたような笑みを浮かべた。個人的な印象ではあるが、米国ダウンタウンのいきなりズドンのヒリヒリした空気とはまったく違う。

 今回の「ブリジット-」第3作は、周囲の登場人物までそんな匂いがある。彼女を巡って角突き合わす2人の男性(コリン・ファース、パトリック・デンプシー)のやりとりは、心の片隅で相手の立場を理解しているフシがある。当のブリジットは勤務先のテレビ局が買収に遭い、年下の新女性ボスに振り回されるのだが、このボスも愛嬌(あいきょう)があって憎みきれない。

 ここまで話を進めて、詐欺のようなことになるが、この英国的映画の英国的ヒロインを演じながら、ゼルウィガーは実は米南部の出身である。

 キャスティング当初は原作ファンの不満もあったという。米南部なまりはクイーンズ・イングリッシュになじまなかったのだろう。それでも映画が完成すると「ロンドン住まいの平凡な女性」に成り切ったゼルウィガーに違和感を持つ人はいなかったという。プロデューサーのデブラ・ヘイワードさんは「彼女にはこの役柄に対する生来の理解力がある。彼女がどんな行動をとって、何を言って、何を言わないかを」という。

 はにかみ笑いの裏には、「感じがいい」だけでは収まりきらない技があるようだ。確かに03年の「コールド・マウンテン」ではアカデミー助演女優賞も獲得している。ゼルウィガーと平さんの間には、演技巧者というもうひとつの共通点もあるのだ。【相原斎】