たとえば結婚式の挨拶で「この度はご結婚誠におめでとうございます。ご両家ご親族のみなさま、心より御祝い申し上げます。ご年長の方をさしおいて甚だ僭越ではございますが、ご指名により、お祝いを述べさせていただきます」なんてスピーチ、よくありますよね。決して間違っているわけではないんですが、もっと普段しゃべっている言葉でいいと思うんです。

トーク編14「話し言葉と書き言葉の成り立ち」

 【前回までのあらすじ】司会も挨拶も台本通り読まなくて大丈夫なことがほとんど。「書き言葉」を「話し言葉」に書き換えると「自分の言葉」で読めますでした。

中学時代の同級生の結婚パーティーで幹事と司会を担当した五戸です(2017年3月)
中学時代の同級生の結婚パーティーで幹事と司会を担当した五戸です(2017年3月)

 日本語はなぜ「書き言葉」と「話し言葉」がかけ離れているのでしょうか。それは、日本語の成り立ちに由来します。ちょっと歴史をひもといてみましょう。

日本語には文字がなかった

 さかのぼると日本語には、文字がありませんでした。日本列島に人が住み始めてから、日本語の祖先にあたるような言葉が使われていたと考えられていますが、書き記すすべがなかった…文字になるのは、中国語が入ってきてから。はじめは、日本語を中国語に訳して、漢文で書いていました。日本最古の歴史書「古事記」(712年)は漢文で記されています。

 その後、「世」を「セ」と読んだり、「可」を「カ」と読んだりする「万葉仮名」が現れます。漢字本来の意味を離れ、やっと日本語として書けるようになりました。最初はそれも漢字のまま「セ」なら「世」と書かれていましたが、そのうちに字体が崩され、「せ」と書く「平仮名」が登場します(「せ」の形が固まるのはもっと先ですが)。平安時代の「源氏物語」は仮名で書かれています。

正式な文書は中国語で書いていた

 しかし平安時代、仮名は女性が使うもので、男性は漢字・漢文を使っていました。公的な文書は漢文で書いて中国語の発音で読んでいたんです。漢文の方が仮名より格上だと考えられていたんですね。

 これでは読むのが大変、ということで現れたのが「漢文訓読語」です。「子曰」に小さいクを書いて「シ イワク」と読むようになりました。国語の授業で習いましたよね。しかしこれは、実際にしゃべっていた言葉ではなく、便宜的に使っていた書き言葉です。

大学時代の同級生の結婚式で司会を務めました五戸です(2016年3月)
大学時代の同級生の結婚式で司会を務めました五戸です(2016年3月)

江戸時代も別々なふたつの言葉

 そうして、書き言葉は「文語」として、話し言葉は「口語」として、お互いが影響を受けながらも、それぞれ別々に変化していきました。江戸時代になっても、書くときは「候」(そうろう)とか「なりけり」と書いて、話すときは「とんといけねえ」「見えなくなったのさ」などとしゃべっていたわけです。

明治時代にやっと一緒になりはじめるも

 明治時代になって、「言文一致運動」がはじまり、口語体の文章も書かれるようになって、徐々に現代語になっていきます。それでも、正式な文書は書き言葉という印象は簡単には変わりません…ここまでに書いた長い長い歴史があるからです。書き言葉の方が格上なイメージがするのも、公的な文書は漢文で書いていた歴史からだと思います。

メールの文章は新言文一致体

 完全に口語で書くのは、メールのとき、最近でいうとSNSのときもそうですね。LINEだと「今日ゴハンどうする?」としゃべっている言葉のまま文章にする人が多いと思います。でも、正式な挨拶だと思うと「この度は誠におめでとうございます」になっちゃう。普段話している時に「この度は」も「誠に」も使わないのに。

 決して間違っているわけではなく、格式張った感じを演出するときにはとても効果的です。ただ、堅苦しくなっちゃうのと、気持ちを込めづらいかなと。

自分の言葉でスピーチ

 最初に書いたスピーチを話し言葉に変えてみましょう!

 「AくんBさん、ご結婚本当におめでとうございます。そしてご家族のみなさんも、本当におめでとうございます。目の前に先輩がいるところで恐れ多いんですけど、せっかくご指名いただいたので、お祝いの挨拶をさせてください」

 すべてこうする必要はないけれど、大事なのは、「書き言葉」と「話し言葉」が「違うと知っていること」だと思っています。こんなパターンもあると知っておくと、いざという時に役立ちますよ!(次回はトーク編15「素敵な話し言葉にするために」です)

本日のごのへの・ご・ろ・く

成り立ちがわかると理由がわかる! 使いこなせる!

 参考文献:「日本語の歴史」東京大学出版会。

「とんといけねえ」は「とんといけねヱ」として『辰巳之園』に記載(1770年)。

「見えなくなったのさ」は「見えなくなつたのさ」として『古契三娼』に記載(1787年)。

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 私五戸は、お茶の水女子大学 文教育学部 言語文化学科日本語・日本文学コース在学中、日本語史の研究をしておりました。