今月14日に大動脈瘤(りゅう)破裂胸腔(きょうくう)内出血のため死去した俳優阿藤快さん(享年69)の葬儀・告別式が21日、出身地の神奈川・小田原市の湘和会堂小田原で営まれた。

 パンチ佐藤(50)板尾創路(52)松岡茉優(20)ら芸能関係者や友人、知人など約200人が参列し、故人をしのんだ。

 パンチ佐藤が阿藤さんに初めて会ったのは19歳の時。都内の公園で撮影をしている阿藤さんを偶然見かけ、「あっ、悪役の人だ。一緒に写真を撮ってください」といきなり頼み込んだという。「失礼だったけど、自分は野球しかしてこなかったから阿藤さんの顔は知っていても、名前も知らなくて」。阿藤さんは「撮影中だからシーッ」と言いながらも、快く応じてくれた。3年ほど前に、ドラマで共演をしたのが最後になった。「すごく勉強になりました。阿藤さんのおかげで今、こうしていられる。ありがとうございました」と涙ながらに語った。

 板尾創路が、阿藤さんと最後に会ったのは数カ月前。NHK「着信御礼!ケータイ大喜利」の収録だったという。10年には監督を手掛けた映画「板尾創路の脱獄王」に阿藤さんを起用した。「スタッフさんに迷惑をかけないように、自分でメークをして(現場に)来ていました」と気遣いぶりを振り返り、「機会があれば、また出演していただきたかった」と話した。

 出棺の際には、甲冑(かっちゅう)姿の「小田原北条手作り甲冑隊」11人がホラ貝で霊きゅう車を見送った。阿藤さんは毎年5月、地元の「北条五代祭り」に北条早雲に扮(ふん)して参加。そこで身に付ける甲冑は彼らが作ったもの。遺影にも甲冑姿の勇姿が使われた。

 車のクラクションの代わりにホラ貝が鳴り響く中、沿道に集まったファン約150人に見守られながら斎場を後にした。