プレーバック日刊スポーツ! 過去の9月26日付紙面を振り返ります。1991年の芸能面(東京版)は歌手の松尾和子さんの急死でした。

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 「誰よりも君を愛す」などのヒット曲で知られる歌手の松尾和子さん(まつお・かずこ=本名同じ)が25日午後1時すぎ、頭部打撲による右硬膜下血しゅによる脳圧迫のため東京都渋谷区神泉の自宅で急死した。自宅の階段から転落したのが原因。57歳の若さだった。松尾さんは長男(28)が覚せい剤取締法違反で懲役2年の実刑判決を受けて服役中のほか、多額の借金を抱えるなど私生活で心労が多く、2月には自殺未遂騒ぎも起こすなど寂しい最期となった。

 松尾さんが自宅の階段から落下したのは25日午前3時ごろ。ビクター音産の樋口和光第一制作本部長によると、大きな物音に目を覚ました同居しているおいの洋一さん(35)が駆けつけると、階段下で寝間着姿の松尾さんが横たわっていた。助け起こされた松尾さんは「よく落ちるからね」と笑いながら答え、抱き抱えられて2階の寝室に戻った。心配した洋一さんが1時間後に部屋をのぞくと寝息を立てていた。松尾さんは2日前にも階段から転落しており、松尾さんの様子から洋一さんもそれほど気にとめなかった。

 その松尾さんが変わり果てた姿で発見されたのは午後1時すぎ。ベッドで寝間着姿のままあお向けに硬直して倒れている姿を起こしにきた家事手伝いの小滝幸子さんが見つけた。通報を受け、救急車と検視官3人、警察官5人が急行した。

 しかし、松尾さんは心臓も停止しており既に死班が出ていた。4時半には遺体はパトカー先導で大塚の監察医務院に向かい、行政解剖を受けた。死因は階段から落ちたときに頭部を強打した際の内出血による「頭部硬膜下血しゅ」と断定された。

 松尾さんは23日、群馬・伊勢崎市でマヒナスターズとのジョイントコンサートを終えたあと24日午前中に帰京。自宅近くで犬の散歩をする姿を近所の人が見かけている。前夜は寝酒(量は不明)を飲んだ後、「疲れたから早く寝るわ」と言い残し、8時にはベッドに入った。25日は午後には新曲のレコーディング打ち合わせが予定されていた。

 松尾さんは最近、右足の小指を骨折しており、日ごろから足元がおぼつかなかった。階段に滑り止めのじゅうたんを敷いたばかりだった。

 松尾さんは歌手としての地方興行も忙しく、またドラマ出演などタレント活動は順調だった。が、私生活では、離婚後女手ひとつで育てた長男が今年2月、覚せい剤取締法違反で実刑判決を受けて、自らも同月、睡眠薬を飲み過ぎて病院へ運ばれる騒ぎを起こした。また、4億円ともいわれる多額の借金があり世田谷区代沢の元の自宅が抵当に入り、3カ月前に現在の神泉の自宅に引っ越した。関係者によると金銭的にかなり行き詰まっていたという。

 家族のショックは大きく、同居していた母親タマさん(87)は「ウソでしょう」と取り乱している。タマさんは服役中の長男を海外に出かけていると説明されており、タマさんは孫の分まで食事の準備をするが、それをそっと片付けるのが松尾さんの日課だった。

 松尾さんは1935年(昭10)、東京都蒲田区(当時)に生まれた。戦後、箱根のホテルに姉が勤めていた縁でジャズに親しみ、中学卒業後の51年、三沢や厚木の進駐軍キャンプ、ナイトクラブで歌手活動をスタートした。

 58年、東京・赤坂のクラブで歌っているところをフランク永井に認められ、作曲家吉田正氏に紹介された。翌59年、和田弘とマヒナスターズがバックコーラスとなった「グッドナイト」、フランク永井とのデュエット曲「東京ナイトクラブ」でレコードデビュー。60年には「誰よりも君を愛す」で第2回日本レコード大賞を受賞した。そのささやくようなハスキーボイスは人気を集め、65年にも「続お座敷小唄」を大ヒットさせた。

 私生活ではバンド奏者の大野喬氏と結婚し、長男をもうけたが、66年に離婚。女手ひとつで育ててきた。長男が成人した後もカラオケスナックの事業資金やカラオケ機械の輸出事業の資金を工面、援助してきたが、結果的に「過保護と言われても仕方がない。子育てに失敗した」と松尾さん自身認める昨年12月の長男の覚せい剤事件に発展してしまった。この1年間というもの松尾さんは失意の連続だっただろう。昨年12月には暴力団山口組の忘年会に出席していたことが発覚。今年2月には長男が懲役2年の実刑判決・服役。反省と弁明に追われ、睡眠薬とアルコールにおぼれる寂し過ぎる晩年となってしまった。

※表記は当時のもの