人気歌舞伎俳優中村勘三郎さんが5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため東京・文京区の日本医科大付属病院で亡くなった。57歳だった。今年7月の食道がんの摘出手術後、肺炎から呼吸不全を発症し、肺水腫となった。自力呼吸が難しくなり、人工肺を装着して治療を受けていた。臨終には家族だけでなく、親友の大竹しのぶ(55)野田秀樹(56)江川卓氏(57)らも立ち会った。多くの人に愛された歌舞伎界の改革者は57年の短い人生を駆け抜けた。

 歌舞伎界きっての人気者で、多くの仲間、ファンに愛された勘三郎さんが病魔との闘いに力尽きた。この日夜、京都・南座公演後に会見した長男勘九郎(31)によると、4日深夜、次男の七之助(29)とともに帰京して病室に向かったところ「大変なことになっていた。ここ数日は安定していたのに」という。集中治療室には妻好江さん(53)ら家族、大竹、野田、江川氏もいた。意識が戻ることなく、愛する家族、仲間にみとられ、勘三郎さんは全力で駆け抜けた57年の人生に幕を下ろした。

 今年6月に初期の食道がんを公表し、「私自身も大変驚いちゃいました」とコメント。7月18日に最後の舞台姿となった「天日坊」松本公演にサプライズ出演し、同24日に息子や仲間による壮行ゴルフで1ラウンドした。同27日の11時間の手術も成功し、翌28日に20メートル歩くなど順調な回復ぶりだった。

 しかし、8月末に暗転した。手術で免疫力が落ちて肺炎となり、呼吸不全を発症し、肺機能が不完全となる肺水腫となった。自力呼吸が困難になり、9月初めに転院し、人工肺や人工呼吸器を装着して治療を受けた。当初は声が出なかったが、その後、出るようになり、「機械をつけながらセリフを言っていました。最後の会話は10月半ば。楽しいことが好きなので、女性の話で盛り上がったけれど、母が帰ってきたら寝たふりをしました」と勘九郎は明かした。11月13日に肺に新たな疾患が見つかったことを公表し、来年2月の博多座の勘九郎襲名披露公演の休演も発表。勘三郎さんは来年4月の歌舞伎座のこけら落とし公演に出るとの強い意志で病魔と闘ったが、10月下旬から話すこともできず、予断を許さない状況が続いた。先週末に見舞った関係者は「話せる状態でなかった。一瞬、目を見開いて両手を上げた感じになったが、すぐ目を閉じました。亡くなるまで再び目を開けることはなかったようです」と話した。

 名優17代目中村勘三郎さんの長男という御曹司だが、親の七光ではなく、自力で今の圧倒的人気を得た。30代で渋谷シアターコクーンで古典歌舞伎を新解釈で上演する「コクーン歌舞伎」を始め、40代で江戸時代の芝居小屋を再現した平成中村座公演を行った。若いファン層を掘り起こし、ニューヨークなど海外でも評判を呼んだ。野田、渡辺えり、宮藤官九郎ら人気劇作家を起用した新作歌舞伎を相次いで上演し、新風を巻き起こした。

 しかし、一昨年末に突発性両側性感音難聴となり、半年間休演し、うつ状態にもなった。健康の大切さを痛感した勘三郎さんは「病気は無駄でなかった。60歳で『助六』をやりたい」と話し、孫の七緒八ちゃん(1)の初舞台を楽しみにしていた。再来年には海外公演、新作公演も予定した。勘三郎を襲名して7年。歌舞伎界の平成のリーダーは新しい歌舞伎座の舞台に立つこともかなわず、道半ばで伝説の人になった。

 ◆中村勘三郎(なかむら・かんざぶろう)本名・波野哲明(のりあき)。1955年(昭30)5月30日、東京生まれ。父は17代目中村勘三郎、母は6代目尾上菊五郎の長女久枝さん。姉は女優波乃久里子。59年、5代目勘九郎を名乗り初舞台。暁星高から国学院大へ進学。05年に勘三郎襲名。平成中村座、コクーン歌舞伎を立ち上げ、映画、ドラマでも活躍。08年紫綬褒章。長男勘九郎、次男七之助。血液型O。