歌舞伎を代表する大名跡を継ぎ、豪快な荒事を見せた12代目市川団十郎(いちかわ・だんじゅうろう、本名堀越夏雄=ほりこし・なつお)さんが3日午後9時59分、肺炎のため東京都港区の病院で死去した。66歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。04年5月に急性前骨髄球性白血病と診断され一時舞台を休演、06年5月に舞台に本格復帰した。骨太で明るく、おおらかな芸風で親しまれた。昨年12月に体調不良を訴え、肺炎の疑いで治療を続けていた。

 病院には、妻の希実子さん、長男の市川海老蔵(35)小林麻央(30)夫妻が駆けつけ、最期をみとったという。団十郎さんは昨年12月18日に軽い肺炎のため京都・南座公演を休演し、その後、虎の門病院に転院した。肺炎の兆候があるとの理由で、1月の新橋演舞場公演を休演。さらに1月9日には3月に予定した主演舞台「オセロー」も休演することを発表し、団十郎さんは「オセロー役は念願の役であり、初の翻訳劇出演ということで楽しみにしておりましたので、本当に残念です」とコメントしていた。

 団十郎さんは、海老蔵の襲名披露公演中の04年に急性前骨髄球性白血病を発症した。その後、退院し、舞台復帰したが、翌05年に再発。自家末梢(まっしょう)血幹細胞移植を受けた。08年には実妹の骨髄を移植して完治宣言していた。その後は体調を大きく崩すこともなく、休演することもなかった。

 関係者によると、今回は白血病の再発ではなかったという。しかし、以前の抗がん剤治療などのため、団十郎さんの免疫力が低下していた。そのため12月に風邪から軽い肺炎になったが、それが重症化していた。ここ数日、予断を許さない状況が続いていたという。

 団十郎さんは4月2日に新開場する歌舞伎座こけら落とし4月公演に出演する予定で、復帰を目指していた。また、3月には小林麻央が第2子を出産予定で、2人目の孫の誕生も楽しみしていた。

 父を早くに亡くし、若いころは大器晩成型と言われて修業、苦労を重ねてきた。壮絶な治療に耐え抜いて復帰、07年に史上初めて、パリ・オペラ座での歌舞伎公演を成功させた。後進を育成する一方、自らもいっそう大きな花を咲かせると期待されていた。昨年12月に亡くなった中村勘三郎さんに続いて、歌舞伎を代表する俳優である団十郎さんの死は、歌舞伎界に大きな衝撃が走っている。

 ◆市川団十郎(いちかわ・だんじゅうろう)本名・堀越夏雄。1946年(昭21)8月6日、11代目市川団十郎の長男として生まれる。53年10月歌舞伎座で初舞台を踏む。58年5月歌舞伎座「風薫鞍馬彩」の牛若丸で6代目市川新之助を襲名。69年11月歌舞伎座「助六由縁江戸桜」の助六などで10代目市川海老蔵を襲名。85年4~6月歌舞伎座「勧進帳」の弁慶「助六」の助六で12代目市川団十郎を襲名した。日大芸術学部卒。88年に芸術院賞。07年に紫綬褒章受章。屋号は成田屋。長男は11代目市川海老蔵。