「ラーメンの鬼」の異名で知られたラーメン店「支那(しな)そばや」店主の佐野実(さの・みのる)さんが11日午前2時57分、多臓器不全のため川崎市内の病院で死去した。63歳だった。素材を厳選し、麺やスープ、具にこだわり、ラーメンブームに大きな影響を与えた。厳しい言動でも人気となり、メディアにも数多く登場。しかし8年ほど前から糖尿病を患い、体調不良に悩まされていた。病床では、究極のチャーハン専門店を開業する夢を語っていた。

 ラーメンの鬼の最期は、穏やかな表情だった。

 糖尿病が悪化して倒れたのは今年2月11日。川崎市内の病院に緊急入院した。しおり夫人(53)の看護もあって、約3週間で一般病棟に移るまで回復した。ほぼ毎日、知人や弟子が病室を訪れた。そのたびにラーメンへの情熱と退院後の活動を熱く語っていたという。

 しかし今月6日に容体が急変。呼吸が荒れ、ベッドから起き上がることができなくなった。10日に血圧が急激に低下し、しおり夫人は主治医から「親族を集めてください」と告げられた。その後血圧は、ほぼ正常値に戻ったものの、翌11日に再び低下。最期は眠るように息を引き取ったという。

 オールバックの髪形に白い厨房(ちゅうぼう)服がトレードマーク。常に眼光鋭く、腕を組む姿で知られた。昨今のラーメンブームでは濃厚な味が多い中、佐野さんは86年の「支那そばや」(藤沢)出店時から一貫して、澄んだしょうゆ味と塩味にこだわり続けた。国内外から価格にこだわらず素材を探し、麺には自分の店専用の小麦粉も発注していた。

 客に対しても厳しく、藤沢時代は麺がのびるから「私語、携帯電話禁止」、香りを損なうから「香水厳禁」などと店内に掲示。スープを残すことさえ許さなかった。そんな姿から「ラーメンの鬼」と呼ばれるようになり、TBS系「ガチンコ」など多くのテレビ番組にも出演した。

 佐野さんが出店していた新横浜ラーメン博物館(ラー博)の広報・企画担当の中野正博さんは「自家製麺の草分けでラーメンに道をつくってくれた。誤解されやすいけど、本当は愛情にあふれた職人で、うれしいと涙を流して相手を抱擁する情熱家だった。残念です」と悔しがった。公式ブログの最終更新は2月14日。仲間の新店を紹介し「俺も食いにいくよ!」と記していた。

 葬儀はラー博近くの新横浜総合斎場で、17日午後6時から通夜、翌18日午前10時半から告別式が営まれる。

 ◆佐野実(さの・みのる)1951年(昭26)4月4日生まれ。横浜市戸塚区出身。藤沢商(現・藤沢翔陵高)では野球部に所属し投手。卒業後、洋食レストランでコックの修業を始める。86年、藤沢市鵠沼海岸に「支那そばや」を開業(04年閉店)。その後、横浜市戸塚区に移転、「支那そばや本店」として営業を続ける。2000年には新横浜ラーメン博物館にも出店。