映画界のドンと呼ばれた東映の名誉会長、岡田茂(おかだ・しげる)氏が9日午前5時55分、肺炎のため都内の病院で亡くなった。

 ロック歌手で映画監督、脚本家としても活動している内田裕也(71)は、岡田茂さんの訃報に「大好きな男だった。事務所から悲報を聞いてびっくりした。結構、付き合いが古くてね…」と肩を落とした。

 内田は過去、岡田さんの元に2回脚本を持ち込んでいる。最初は「十階のモスキート」。「30秒で内容を言えなければ映画は成り立たない」がポリシーの岡田さんに内容を問われ、簡潔に説明したが「こんなの映画になるか」。「監督は?」と聞かれ、当時新人だった崔洋一氏の名を告げると「崔?

 どこの崔だ」。同作品は83年にATG系で公開され、崔監督が賞を獲得。岡田さんから「だれが脚本を書いた」と聞かれ、内田が「おれです」と答えると、岡田さんは「何!?」と話したという。

 その後、内田は再び「コミック雑誌なんかいらない」を持って岡田さんを訪ねた。岡田さんは再び「そんなの映画になるか」。内田が「じゃあ、いいですよ」と席を立とうとしたら、岡田さんは「脚本ぐらい置いていけ」。同作品は86年に公開され、カンヌ映画祭監督週間に招待。米でも上映され世界的に高評価を得た。内田は同作品で映画賞の脚本賞を受賞。その時のプレゼンターが岡田さんだった。

 長く交流が続いたのは、岡田さんが、崔監督を世に送り出すなど斬新なチャレンジで映画界に旋風を巻き起こした内田を「センスがおもしろい」と認めていたからだ。内田も「東映カラーではないが、ロックンローラーらしいやり方でチャレンジしたことにシンパシーを持ってくれたのでは」と振り返る。お互いを認め合う仲だった。内田は「本当にかわいがってくれた。おれは高校中退で岡田さんは東大。口は悪いけど、ハンサムでカッコイイし、きっぷもいい。どこの大企業でも通用した人だと思う。いい男は早く逝ってしまう。人生の悲哀を感じたね」としのんだ。