J2札幌が、07年以来9年ぶりのJ2リーグ優勝と、11年以来5年ぶりのJ1昇格を決めた。20日、最終金沢戦(札幌ドーム)で0-0で引き分け、5月15日からの首位を守った。四方田修平監督(43)は、恩師岡田武史元監督(60)の下でアシスタントコーチとして臨んだ00年以来の昇格で、コーチと監督での達成は、クラブ史上初となった。チームは5年ぶりの復帰となる舞台で、J1定着、上位進出を目指す。

 四方田監督が、苦しみ抜いて、ようやくつかみ取った。自動昇格決定の可能性が出た第37節東京V戦から6戦、最後はスコアレスドローとなったが、ここまでくれば結果がすべて。引き分けでの決定はクラブ5度目で初と、ファンには微妙な結末となったが、これもサッカーだ。

 試合後は計7回、札幌ドームの宙に舞い、歓喜に酔いしれた。1回目に4回舞って、やり直しで、おまけの3回。「はらはらさせてすみません。最後は勝って決めたかったですけど42戦トータルで考えての結果がリーグ戦。昇格とJ2優勝を遂げてくれた選手を誇りに思う」と振り返った。

 就任2年目。監督業の精神的ストレスは、気付かぬ間に、風貌を変えていた。9月26日の町田戦後、恩師岡田氏とのトークショーで2年ぶりに再会した際「やつれたな」と指摘された。体重は1キロ程度しか減っていなかったが、鏡を見て思った。「頬がこけた…」。肉体と精神を極限にまですり減らした。

 リーグ終盤の10月22日東京V戦でホーム初黒星、同30日熊本戦で初連敗、11月6日徳島戦では初の逆転負けと失速し、2位松本に勝ち点81で並ばれた。白髪は、みるみる増えた。日付が変わるまで自チーム、そして相手チームの分析にいとまがなかった。スタッフに分からぬよう自宅で、夫人と3人の子供に白髪を抜いてもらう時間だけが、唯一の気分転換だった。

 指揮官としての痛み、つらさを一身に受け止め、周囲には気配りの男として振る舞い続けた。メンバーを入れ替える際は、直接話してフォローした。ユース時代から教えを受ける道産子最年長のMF石井は今季、先発からいきなりベンチ外になることもあった。「そういうときも丁寧に説明してくれた。相手の特長や、うちの選手構成、特徴を考えた上での戦術的な判断だから石井への信頼は変わらないからな、と。理解できたし、やる気を失わずに取り組むことができた」。一体感は、細やかな配慮から少しずつ築かれていった。

 選手の立場や気持ちを最優先した。「ユースの監督になり立てのときは俺が俺がでした。自分の考えを押しつけてました。失敗を繰り返して今は、選手の目線で考えられるようになったかな」。04年に札幌U-18監督になってから13年目、指導者として経験を積み角が取れた43歳は1つ、大きな実績を積み上げた。

 来季J1は、より厳しい戦いが待っている。「今季をベースに、すべての要素でレベルアップさせ、そしてサポーターとともに戦うことが一番大事」。“コンサドーレ育ち”の知将が荒波に挑む。【永野高輔】

 ◆四方田修平(よもだ・しゅうへい)1973年(昭48)3月14日、千葉市生まれ。習志野高、順大を経て、筑波大大学院時代の96年12月のアジア杯から加茂監督、岡田コーチの下で日本代表スカウティングスタッフ入り。99年から3季、岡田監督の下で札幌トップチームアシスタントコーチ。15年7月24日に札幌トップチーム監督に就任。