<J1:大宮1-1横浜>◇第5節◇17日◇NACK5
「森ファミリー」の中心選手だった横浜の木村和司監督(52)が、亡き恩師に優勝を誓った。大宮と1-1で引き分けたが、柏を得失点差で抜き、06年以来となる1941日ぶりの首位奪取。同監督にとって、この日死去した森孝慈さん(享年67)は、日本代表時代の監督で、横浜でも95年から2年間ゼネラルマネジャー(GM)を務めた人物。「優勝をみせたかった」と話し、沈痛な面持ちで臨んだ試合。弔いの勝利は挙げられずに悔しさはみせたが、04年以来の優勝に向けて前進した。
試合後の会見場で、木村監督は汗をぬぐいながら、無言で幾度もうなずいた。質問は「いろいろな意味というのは、森さんのこともありましたか?」。あえて言葉にしなかった。だからこそ思いの強さが伝わった。追いつかれての引き分け。直前、「いろいろな意味で勝ちたかった」と本心を漏らしていた。
試合前から心は沈んでいた。「やっと声が出るようになって。良い感じだったのに…。悔しいのう」。森さんは81年から85年まで日本代表監督を務めた。当時の中心選手が木村監督だった。「いまでも代表のOB会がある。わしらは『森全日本』だったから。監督の名前が出たのは、森さんが最初じゃないか」。
思い出すのは翌年にW杯メキシコ大会を控えた85年のアジア最終予選。韓国に勝てば出場権を得られた。国立での第1戦。2点リードされた前半43分、木村監督はゴール正面の距離約30メートルのFKを直接決め、「伝説のFK」と呼ばれた。1-2で惜敗し、第2戦も0-1で敗れ、出場権を逃したが、「プロにならないと世界に行けないと感じた。1つのターニングポイントだった」。翌年、同監督は国内プロ第1号選手になった。
感謝の念があるからこそ、4分け2敗と鬼門だったアウェー大宮戦で、手向けの1勝を目指した。暑さと連戦で運動量が少なかったが、0-0で迎えた前半37分にMF中村のCKにFW小野が合わせて、1回の決定機をものにした。勝利にかける木村采配は、後半開始からその小野に代えてFW大黒を投入するなど、強気に勝ちを求めた。
試合前「(森さんに)優勝するところをみせたかったなあ」と思いをはせていた。同点に追いつかれ、同監督は「すっきり勝って1位になりたかった」と悔しさをみせたが、5年ぶりの首位。「最後までこの順位にいたい」。シーズン後に最高の報告をするまで、思いを背負い戦い抜く。【阿部健吾】



