小野がチームの精神的支柱を担う。J2札幌が9日、元日本代表MF小野伸二(34)の加入を正式発表した。この日、札幌・大通公園のさっぽろテレビ塔下で行われた公開入団会見に臨み「先頭に立ってチームにカツを入れていきたい」とプレーだけでなく、メンタル面の強化にも貢献する構えを示した。浦和時代の先輩でもあるMF河合竜二主将(35)の補佐役として、3大会出場したW杯や海外リーグでの経験を、還元していく。

 小野がさわやかな笑みを浮かべ、北海道のファンにあいさつした。「今日をもって正式に札幌の選手。このチームに入れたことがうれしいし、札幌をもっともっと盛り上げてJ1に上げることに貢献したい」。前日8日に新千歳空港に到着した際は、緊張で少しこわばっていた。夜は野々村社長と札幌市内で食事をしながら、クラブの将来像を熱く語り合った。選択に間違いはない-。社長の情熱と、テレビ塔下に集まった約400人のファンの目を見て、そう確信した。

 北海道にサッカー熱再燃のスイッチを入れる。札幌にとって99、00年に指揮をとった岡田武史元監督(57)、10年から3年プレーした中山雅史氏(46)に続く、3人目のW杯経験者となる。「サッカーに興味がない人にも練習や試合に足を運んでもらいたい。興味がある人は、楽しさをサッカーが好きじゃない人に伝えてほしい」。天才的プレーと抜群の知名度で、チーム力向上だけでなく、ファン層拡大の渦を巻き起こす。

 早速、きょう10日の練習からは“主将補佐”として活動を始める。昨年末に札幌からオファーを受け、相談したのが河合主将だった。浦和時代の1年先輩で、最後に一緒にプレーしたのが偶然にも00年9月28日のJ2札幌戦だった。Vゴール負けした当時のライバルチームで14年ぶりに共闘する。30代のベテランとして再びチームメートになり「一緒にやれるのがうれしい。竜二さんを支えて、チームを良くしていきたい」とサポート役に名乗り出た。

 99年世界ユース(現U-20W杯)でU-20日本代表主将として準Vに貢献、00年には浦和のクラブ最年少となる20歳で主将を務めた、リーダーの資質を生かす。「僕も人間だしスーパーではない。でも先頭きって必死にやっている姿を見せれば若手も気づいてくれる。苦しいときはカツを入れてトレーニングからプロ意識を伝えたい」。主将を助けて若手の手本となり、成績を上げ、観客動員に尽力する。

 最短出場は7月20日の大分戦と、1カ月以上先だが「次の横浜FC戦でどうやって勝ち点3を取るかを考えるのが今の目標」と言った。出られなくてもやれることがある。まずは天才的なサッカー感や、海外で培ったコミュニケーション能力をフル稼働し、16位に低迷するチームに、活力を注入する。【永野高輔】

 ◆小野伸二(おの・しんじ)1979年(昭54)9月27日、静岡・沼津市生まれ。清水商から98年に浦和入りし、同年新人王獲得。01年にオランダ1部フェイエノールトへ移籍し、UEFA杯優勝に貢献。06年に浦和に復帰し、08年にドイツ1部ボーフム移籍。各世代の日本代表でも活躍し、99年U-20W杯では準優勝、W杯は98年フランス大会から3大会連続で出場した。10年に清水、12年10月にオーストラリアのウエスタンシドニーに移籍。02年度アジア最優秀選手。J1通算178試合29得点、J2通算24試合7得点。国際Aマッチ通算56試合6得点。175センチ、74キロ。家族は夫人と2女。血液型O。