関東学生陸上競技連盟が第100回の記念大会となる2024年1月の箱根駅伝で全国化を検討していることが6日、分かった。前年秋の予選会に一定のタイムの基準を満たせば、関東地区以外の大学も出場できる案が出ているという。本戦もオープン参加ではなく、正式な記録を認め、記念大会以降も同様の形式とする可能性もある。今後の議論次第だが、正月の風物詩は全国に門戸が開かれる。

 7年後の記念大会は、全国の大学に出場チャンスが与えられる可能性が出てきた。例年、出場は関東の大学だけながら、視聴率は25%を超える正月の国民的イベント。節目に大きな転換期を迎えそうだ。

 複数の関係者の話を総合すると、タイムなどある一定の基準を満たせば、前年秋に実施される予選会への出場を認めるというもの。現在、予選会には10~12人が出場し、全員20キロを走り、チーム上位10人の所要合計タイムの少ない上位10校が本戦出場権を獲得するシステムだ。今年は49チームが出場し、帝京大が制した。その舞台に立命大、福岡大など全国津々浦々の大学が参加できることになる。出場の基準となるタイムや、本戦出場枠を増やすかなど、今後具体的な方法を検討していく。

 出場の形式も記録や順位も付けられないオープン参加ではなく、正式な記録が認定される案だという。そうなれば、本戦で10位以内に入り、シード権を獲得すれば、翌年も箱根路を走れることとなる。記念大会だけでなく、第101回大会以降も同様の形式が採用される可能性も高い。過酷な山登り、そして1区間ごとの距離も長い箱根駅伝は数々の逆転劇やドラマが生まれてきた。その舞台にフレッシュな顔ぶれが増えそうだ。

 夏の甲子園と並び、学生スポーツ界で最大級の注目と知名度でありながら、事実上は大学の関東大会だった。それを疑問視する声もあった。節目となる大会で、関東の大学だけに限定されていた枠組みを取り払い、名実ともに日本一の大会にする狙いもあるという。昨年度も5区の山登り区間を短縮するなど時代によって変化してきたが、ついに長年、叫ばれてきた全国化の方向へかじが切られる。

 ◆箱根駅伝の歴史 誕生は1920年(大9)で、東京高師(現筑波大)が優勝。マラソンの父・金栗四三らの「世界に通用するランナーを育成したい」との思いが創設につながった。関東以外の大学の出場は、戦前の28、31、32年に関大が3度。64年の第40回大会には福岡大、立命大が参戦し、04年の第80回大会は日本学連選抜の一員として京産大、岡山大などの選手も舞台に立ったが、いずれもオープン参加だった。優勝回数は中大の14がトップ。現在は青学大が3連覇中。