水泳世界選手権の男子400メートル個人メドレーを連覇した瀬戸大也(21=JSS毛呂山)が、明日4日開幕の日本学生選手権(浜松市総合水泳場)に出場する。世界選手権前の合宿で左足首に痛みが発症。最初の2種目はメダルを逃し、窮地に追い込まれたが、最後の本命種目では連覇し、来年リオデジャネイロ五輪に内定した。短期間でいかにどん底から立ち上がったのか。日刊スポーツのインタビューで真相を語った。

 歓喜の連覇から3週間。瀬戸は、萩野の陰に隠れて頂点に立った2年前との違いを実感する。自ら公言し、本命視された大会。そこでどん底を味わいながらもぎ取った金メダル。大会前の苦闘から語り始めた。

 「公介が(右ひじ骨折で)欠場を決める前から足に痛みが出た。キック練習がほとんどできなかった」

 6月下旬の米フラグスタッフの高地合宿。開始1週間で左足首に痛みが発症。合宿から帰国した7月12日。コメントに不安が隠されていた。

 「あの時『悪くない練習ができた』と発言している。完璧な練習ができていたら『ばっちりです』と言うはず。強がっていた」

 キックの練習不足が、泳ぎの細部を狂わせる。最初の種目、世界ランク1位だった200メートルバタフライではキックが利かない。

 「スタートもおかしくなった。飛び込んだ瞬間、普段より浅かった。その後、ぐっと潜ったため、バサロの回数も増えた」

 準決勝ではスタートからの潜水が15メートルを超える違反を犯したと不安になり、リズムを崩す。普段ではありえないミスだった。決勝は早大の後輩、坂井聖人の4位を下回る6位。50分後の金メダルを狙った200メートル個人メドレーでは14位と決勝すら進めなかった。

 「何でこんなに体が動かないのかと。力を出し切った感覚はないし、疲れてもいない。何をやっているんだといら立ったし、恐怖感もあった」

 持ち前のポジティブ思考も、実は揺らいでいた。

 「足の痛みで、練習が積めていない。自分を信じることができなかった。前向きな言葉を口にはしていたが、練習では思うように体が動かない。タイムも出ない。不安だった」

 2種目を終え、我を失っていたとき、萩野を指導する日本代表の平井伯昌監督(53)から「金メダルを意識しすぎている。金メダルより、自己ベストを出す、ライバルに勝つとの思いが必要ではないか」と指摘された。

 「基本的な心構えが欠けていた。予選から決勝を考えすぎて、余裕を持ちすぎた。(前回大会の)2年前は予選からもっと攻めていた」

 多数の激励メール、LINEも届いた。家族、親類から「大也らしく笑って終われるように、全力を出して」と鼓舞され、友人からも「大也の笑顔が見たい」とあった。

 「何か吹っ切れた。足が痛いなりに練習は頑張ってきた。自分のやってきたことを信じよう。しっかりと力を出し尽くして、結果がどうであれ、今後に収穫があるようなレースをしようと思い直した」

 レースの合間の3日間で、泳ぎの基本から見直し、フォーム調整のドリルを繰り返した。大会中では異例のメニューだった。

 「キックは本来の半分の力もなかった。すぐに修正することは難しいため、手を1つ分、前に伸ばして、水をキャッチしたり、呼吸のタイミングを遅らせたりした。基本練習の繰り返しに葛藤もあったが、最後は陸上から見ている(梅原)コーチの目線を信じた」

 最初のバタフライでトップに立つと、最後の自由形では体1つ以上リードしてフィニッシュ。圧巻の連覇で、リオデジャネイロ五輪代表にも内定した。大会後、萩野からLINEが来た。「大也ならやってくれると思った。オレもこれで元気が出た。来年が勝負だから」。

 「(出場権を逃した)ロンドン五輪では(萩野)公介の銅メダルを見て、頑張ろうと奮起できた。一番の強敵は公介。ライバル関係は大切だし、恵まれた環境にいる」

 崖っぷちからの連覇は「金メダル以上の価値がある」と話す。日本学生選手権後、和歌山国体を経て、15日には痛みが出た足首の手術を受ける。五輪を万全で迎えるための決断。来月初旬には、萩野と争う五輪金メダルへ始動する。【取材・構成=田口潤】