プレーバック日刊スポーツ! 過去の9月17日付紙面を振り返ります。2000年の1面(東京版)はシドニー五輪で悲願の金メダルを獲得した田村亮子でした。

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<シドニー五輪:柔道>◇2000年9月16日◇女子48キロ級

 おめでとう、YAWARA! 悲願の金メダルだ。3度目の五輪で、柔道女子48キロ級の田村亮子(25=トヨタ自動車)が、ついに夢をかなえた。苦しみながらも勝ちあがり、決勝ではブロレトワ(27=ロシア)に開始36秒、会心の内またで1本勝ち。過去2回銀の無念を見事に晴らし、日本の金メダル第1号となった。「夢のようです」と笑顔で泣いた。その3分後に男子60キロ級の野村忠宏(25=ミキハウス)も金メダルを奪取。柔道ニッポンは最高のスタートを切った。

 やっと会えた。何よりも欲しかった五輪金メダルが胸にある。「五輪金メダルまで8年間。この8年間の思いは、初恋の人にやっと巡り合えたような感じです」。過去2度の五輪で目の前を通りすぎた最愛の宝物に2度キスをした。

 勝つことを義務付けられた苦しみを味わった。技が出ない。準決勝までは返し技でなんとか勝った。この決勝で負ければ、現実的には、もう五輪で金メダルを取れるチャンスはない。だが、全日本女子の吉村和郎監督(49)に「この4年間の集大成を4分間で見せろ」と言われ、自然と力みは消えた。開始36秒の早業で1本勝ち。「この瞬間を味わうために、貴重な時間を費やしてきました。夢のような気持ちです」。五輪での3度目の涙は、達成感いっぱいの味がした。

 順風満帆の柔道人生に初めて、そして唯一、立ちはだかったのが、五輪という壁だった。アトランタ大会後の2カ月間、1度も畳に立つことはなかった。「このままやめれば、一生悔いが残るという自分がいる」。気持ちを切り替え、世界選手権では97年パリ大会、99年バーミンガム大会で優勝。4連覇を達成した。でも五輪でどうしたら勝てるのか、なお漠然としていた。

 昨年2月。欧州遠征に帯同した時、頭にあるイメージが浮かんだ。「タイミングで合わせる柔道は、もうダメ。外国人以上のパワー柔道をしなければ勝てない」。自らを被験者とした大学院修士論文の研究でも、パワー不足を裏付けるデータがあった。背負い投げをコンピューターグラフィックス(CG)解析すると、投げを失敗した時の組み手の放物線が、外国人との対戦では筋力不足でぶれていた。パワーアップを痛感した。

 世界選手権4連覇達成後に専属となった寺川一秀トレーナー(34)とのトレーニングも新鮮だった。試合をビデオで見ながら「まばたきをする時間で、1つ技をかけられるチャンスがある。世界一のスピードをつけよう」とアドバイスされ素直にうなずけた。これで、新たな活路が開けた。トレーニングで、反射神経の目安、全身反応時間はアトランタ五輪前の0・217秒から0・192秒までアップ。太ももは30%以上も太くなった。「世界一の練習をすれば、世界一になれる」の信念が、田村の壁を突き破った。

 これで国内、アジア、世界選手権、五輪と全大会を制覇。国際デビューから10年で194戦188勝4敗2分け。連勝も「53」。「次の目標? 福岡国際11連覇と来年の世界選手権5連覇」。金メダル物語は完結しても、また次の目標が見えている。

※記録と表記は当時のもの