7人制ラグビー男子日本代表ヘッドコーチ(HC)としてリオデジャネイロ五輪4強入りを果たした瀬川智広氏(45)が26日、最終12人の五輪メンバーに山田章仁(31)藤田慶和(23=ともにパナソニック)らを外した理由について言及した。母校の大体大で講演会を行い、終了後、取材に応じた。

 リオ五輪では王国ニュージーランドから歴史的勝利を挙げるなど快進撃。昨年の15人制W杯における南アフリカ戦勝利に続く「番狂わせ」として大きな成果を残した。一方、五輪前には、7月17日の最終発表でW杯メンバーの山田、藤田が落選。五輪出場権獲得に貢献した松井千士(21=同大)も12人に入れなかった。

 ラグビー界の顔と言える3人の落選決定から約2カ月。大きな反響となった選考について、瀬川氏はまず考えの「軸」を説明した。

 「コンディションの良かった選手、パフォーマンスの良かった選手を選びました」

 選考の裏側で、瀬川氏は「ここでメンバーを決める」と選手にあらかじめ照準を伝えていたという。それが7月中旬まで行われたオーストラリア遠征だった。ここではニュージーランドと戦う五輪初戦に向け、綿密な準備を行った。「ニュージーランド戦の後の英国戦も想定して、試合と試合の間はわざわざ(本番と同じ)5時間空けた。ウオーミングアップも五輪で使えるスペースを測って、その範囲で。待機するのも五輪と同じスペース。それだけ(五輪)初日に合わせていた」。そこで本番シミュレーションと同時に、“最終セレクション”を行った。

 遠征が終わり、メンバー選考の時を迎える。瀬川氏はまず「軸」でてんびんにかけ、松井、藤田に関しては「同じポジションの福岡(パナソニック)、後藤(NEC)が良かった」。加えて、バランスを考慮し「フッカーもできる」(瀬川氏)東芝の豊島をバックアップメンバーから昇格させた。山田については、当時抱えていた左ふくらはぎ肉離れの影響も考慮。山田は6月の7人制合流から2カ月で五輪を目指していた。瀬川氏は「彼はラグビーを愛している。彼がやらないとサンウルブズ(スーパーラグビー)が成り立たない状態だった。だから(他の選手が7人制に専念する中5月まで)7人制に集中できなかった。彼がそれだけ(ラグビー界を)考えてやってくれていた」。故障は7人制仕様の体を作る最中に起きた不運だった。

 今、当時の選考をどう思うか。瀬川氏は「それぞれに説明はしたけれど、100%納得しているとは思っていない。最後の12人を選ぶのは難しい仕事。これは経験した人にしか分からない。最後の決定は大変だし、それは五輪のチームを率いた監督(HC)の責任ですから」と言う。

 バックアップメンバーとしてリオに同行した藤田、松井の思いも瀬川氏は知っている。「彼らは練習で一番、一生懸命やっていた。『アピールしたら、もう1回(直前変更で)選んでもらえるかも知れない』という気持ちですよね」。選手それぞれの立場から見たリオの光景。そこへの思いはきっと、20年東京五輪に生きる。