テニスの赤土最高峰で、今季4大大会第2戦の全仏オープン(パリ)が28日に開幕する。世界9位の錦織圭(27=日清食品)は、08年に初めて予選に挑戦して以来、予選、本戦を含め8度目の出場となる。ハード、赤土、芝と3種類のコートの中で、赤土の勝率は7割以上と最も高い。赤土の戦い方を、守備型から攻撃型に変えて約4年。そのスタイルが、実を結ぶ日も近い。

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 ジュニア時代。錦織は国際テニス連盟(ITF)ジュニアツアーで、シングルス1度、ダブルス3度の優勝を数え、そのすべてが赤土のコートだった。その中には06年全仏オープンジュニアのタイトルも入る。しかし、07年にプロ転向。その後、赤土でなかなか結果が出なかった。

 08年、全仏に初めて予選から挑戦。予選2回戦で敗れた。当時、錦織は「ジュニアでは得意だったのに今は苦手意識がある。球がなかなか決まらない。攻め方が分からなく、頭の中がこんがらがっちゃう」と、赤土でもがいていた。

 錦織が「テニスをやめたい」と両親にメールを送ったのが、この時だった。しかし、徐々に実力がつき、少しずつ結果も生まれだした。09年は右ひじ、12年は腹筋のケガで欠場したが、13年は初めて16強入りを果たした。当時のスタイルは、ベースラインから少し下がった守備型。赤土の粘りを重視した守りのタイプだった。

 しかし、14年にマイケル・チャン(米国)がコーチに就任。ベースラインからあまり下がらず、バウンドした球を速めに返球することで、相手の時間を奪う現在の攻撃スタイルが確立した。ただ、当初、それもハードコートでのスタイルだった。そのスタイルを、赤土で試してみて結果が出たのが同年バルセロナ・オープンでの優勝である。そこから赤土での勝利が積み重なった。

 日本選手にとって、現在、赤土は鬼門だ。国内に赤土のコートは少ない。しかし、実は、80年代まで、国内はクレー(赤土ではなく荒木田土という日本特有の土)が大半だった。72年に始まった楽天ジャパン・オープンも、82年まではクレーの田園テニス倶楽部で開催されていた。

 まだ全豪も芝コートの時代である。当時、日本選手が成績を出せるのは全仏だけと言われた。しかし、その時から30年以上が経過し、日本男子の全仏は、31、33年に佐藤次郎(故人)が記録したベスト4が最高成績だ。まずは、錦織がその成績に挑み、そして追い抜く日が来る。

 ◆錦織圭の全仏全成績

 ▽08年予選2回戦 一般の全仏に初挑戦。世界100位で予選第5シードがついたが、2回戦で同193位の選手に敗れた。

 ▽09年欠場 年頭から悩まされた右ひじの痛みが治らず。

 ▽10年2回戦 09年8月の右ひじ手術から復帰し6大会目。2回戦でジョコビッチに完敗。

 ▽11年2回戦 2回戦で相手の攻撃的なプレーに防戦一方となり4セットで敗退。

 ▽12年欠場 4月のバルセロナで腹筋を痛め欠場。

 ▽13年4回戦 初めて2回戦の壁を突破。4回戦でナダルにセンターコートで敗れた。

 ▽14年1回戦 前哨戦のマドリード・オープン決勝で、ナダルを追い込みながら左股関節を痛め途中棄権。全仏まで実戦練習ができず、1回戦で敗れた。

 ▽15年ベスト8 過去最高の状態で挑んだ。初めて準々決勝に進んだが、地元のツォンガに5セットで敗退。

 ▽16年4回戦 15年同様に最高の準備で迎えたが、前哨戦で2連勝していたガスケに、降雨中断で流れが変わり敗退した。

 ◆WOWOW放送予定 27日午後5時10分から「現地発! 全仏テニス最新情報」。同9時から「錦織圭 世界の頂点へ!」。ともにWOWOWプライムで無料放送。28日~6月11日は全仏オープンを連日生中継。