4月29日、陸上織田記念の男子100メートルで、17歳の桐生祥秀(よしひで、京都・洛南高3年)が日本歴代2位の10秒01の記録を樹立した。日本人初の9秒台は出るのか-。自ら執筆を手がける責任編集の為末大(35)が、5月5日の大会で桐生を直撃取材。その可能性とアスリートとしての今後について考えた。<レース後に聞く>

 東京・国立競技場で行われたセイコーゴールデングランプリ。そこで桐生君をインタビューした。

 「なんだかよく分からないです。すごいことになってますよね。ゴールのばたつきを改善すれば、9秒台も出せるかもしれない。今日は初めて海外の選手と走った。グラウンドで見るのも初めて。楽しかった」

 少し堂々としているけれど、普通の高校生という印象を持った。自分でも記録と、世の中の反応に驚いているようだったけれど、浮足立つこともなく淡々としていた。世の中は「9秒台だ」と騒ぐけれど、ほかの高校生と同じように「インターハイを目指したい。仲間たちと3年間頑張ってきたので」と話した。

 そして「高校時代に9秒台を出さなくても、大学に行ってからでも遅くない」。地に足をつけて徐々に上っていこうとする姿勢を保っているのが印象的だった。<9秒台の意味は>

 これまで100メートルの歴史で1度たりとも世界ランク1位(織田記念時、16日現在5位)に日本人がなったことがなく、それを17歳の若者が成し遂げた。スポーツは参加する人数に、ほぼレベルが比例する。競技人口が多い100メートルは、陸上の中で最もレベルが高い。走ることは誰もが経験することだから、ほかのスポーツよりも才能を持った人間が目覚めやすい。また施設や器具などが必要なく、先進国ではなくても選手が出てきやすい。そう考えると、潜在的な競技人口はかなり多い。

 100メートルは技術の要素が小さく、身体能力で勝負が決まるといわれている。「身体能力が低い」とされてきた日本人が、最も苦手としてきた。そんな種目で日本人初の9秒台が達成されるようなことがあれば、相当に大きなインパクトを社会にもたらすだろう。

 なぜ桐生君が出てきたのか?

 ちょうど20歳代中盤以前の世代に、世界に通用する選手が急に増えているのはなぜなのだろうか?

 ゴルフの松山英樹、テニスの錦織圭、サッカーの香川真司ら、世界で勝負できるレベルの選手が多い。ひとつの理由として、90年前後生まれの彼らは子供だったころ、各スポーツのトップランナーたちがちょうど世界に出始めた頃というのが大きいのではないか。

 野球のイチローやサッカーの中田英寿、陸上でいえば末続慎吾や北京五輪の男子400メートルリレーなどが世界で活躍しているのを見ていた世代が、この年代に当てはまる。日本人が実際に世界で戦っている姿を目の当たりにしているこの世代は、そもそもの世界に対する認識が違うのではないか。

 インタビュー中「いつかはボルト選手と走ってみたいです」と淡々と語ってくれた姿には、日本と世界の間に特に大きな境目を感じていないように思えた。そういった世代の中心として生まれてきた。では果たして彼は9秒台を達成できるのか。達成するために必要なものは何なのだろうか。<(1)認識>

 「10秒の壁」とは何なのか。考えてみれば「10秒05の壁」とは言わない。キリがいい数字として10秒が選ばれているだけで、特別な何かがあるわけではない。特別なものがあるのは人間側の思いだけ。つまり10秒の壁とは認識であり、期待のことである。

 例えば、10秒01のタイムを出した後、何が起きるのだろうか。メディアが桐生の名前を取り上げるようになり、彼も会う人、会う人から「いよいよ9秒台ですね」という話をされる。

 初めは意識していないものでも、みんなが大変なことだと言い始めると、本人も意識せざるをえない。大変なことに挑戦しようとしているんだという認識は、自分を緊張させ、次第に背中にのしかかる。桐生君は「目標は9秒96です」「記録よりも勝負です」と答えていた。今のところ10秒の壁を感じてないだろうけれど、これから嫌というほどの期待を浴びていく中、どの程度、自分を保ち続けられるかが、達成できるかどうかの鍵となると思う。<(2)世間>

 部活動とトップの世界はずれている。知っている人が限られている部活動の世界では、周囲とも素直に愛想よく付き合うことができるし、それが良しとされる。ところがトップの世界では、関わる人間の幅がケタ違いに広い。マスメディア、関心を持つ一般の人々、成績によって評価が上下する協会関係者、そして協会自体をスポンサードしている企業など。利害関係者とも言えるだろう。

 10人の期待に応えることはできても、10万人はそれぞれ違う考えを持っている人たちだから、すべてを満たすことはできない。トップランナーに必要な能力は、他人の期待を無視できる能力だと思う。それぞれの関係者がそれぞれの期待をかけてくる中、いい人過ぎるアスリートは1つ1つ真面目に対応してしまう。みんなの期待に応えれば、当たり障りのないことしかできなくなり、小さく丸く収まってしまう。世間は大きく変えることも、逃げることもできないから、付き合い方を学ぶしかない。<(3)動機>

 この世代で中学時代、有名な選手と言えば桐生君ではなかった。彼にはライバルがいた。それがモチベーションにもなっていただろう。トップランナーの闘いの多くは、自分自身のモチベーションとの闘いだ。例えば9秒台を出すために頑張っている選手が、出した後どうするのか?

 有名になろうと頑張っていた選手が、有名になった後どうするのか?

 それは達成した人しか知りえない。

 9秒台というタイムを彼自身も、日本中も大きなものとして捉えている。大きければ大きいほど、達成した後に燃え尽きるリスクを抱えてしまう。山登りで山頂に到達した時、どうやって次の山を目指すのか。現役を続けるとは、常に山登りの状態でい続けることだと気付いた時、どう自分を駆り立てるのか。それが大切なことになる。

 僕は、ただ走るのが楽しくて競技を始めた。そのうちに周囲の大人が褒めてくれるのがうれしいから走った。頑張ればいい大学にいける、いい会社に入れる、速く走れば女の子にもてる、お金が手に入ると言われて走った時もあった。目的はいろいろと変わる。変わりながらも走り続けることが、勝ち続けるには大事なことになる。臨機応変に自分を引っ張り上げる理由を作っていけるかどうか。それがトップランナーには必要なスキルになる。<アドバイス1つ>

 17歳という年齢もあって期待は大きいけれど、高校時代の記録を更新できず引退した選手は山ほどいる。既に10秒01で走ってしまっている以上、これからの伸び率は相当に鈍化する可能性がある。数年全く記録が出なくなることもある。そんな中でいかにして自分を保ち続けるかというのが、重要なことだろう。

 1つだけアドバイスするなら「原点を大事にしてほしい」と言いたい。これから先、いろんな人に会い、さまざまな意見を耳にし、欲しかったものが手に入り、新しいものに出会ったりする。人は変化し、環境も変化する。迷うことや、そもそも何がしたかったのか見えなくなることもある。

 私自身、目標にしたメダルを達成した後や、結果が出て持ち上げられた時、いったい何のために競技をしているのか分からなくなった。そういう時に僕を取り戻させてくれたのは、無邪気に走る子どもたちの姿だった。だからこそ、場所でも人でも物でもいい。自分の原点になるものを持っていてほしい。「あぁ、もともと僕はこういう思いで競技を始めたんじゃないか。このために走っていたんじゃないか」。そう思い出させてくれる原点がある限り、闘い続けられる。

 前人未到の世界は孤独との闘いになる。それは選ばれた人にしか体験できない。桐生君にはこれから続く、孤独な闘いを楽しんでほしい。(為末大)

 ◆海外での日本人選手の推移

 データを抽出しやすい野球とサッカーに絞って調査した。表はメジャーリーグ(ベンチ入り、マイナーは除外)、サッカーの欧州6大リーグ(イングランド、スペイン、ドイツ、イタリア、フランス、オランダの各1部)における95年以降、4月時点の数だ。野球は95年に野茂が海を渡って成功を収めると、00年には野手としてイチローも渡米するなど流れが加速した。サッカーでは94年夏にカズがイタリアのジェノアへ渡ったのを皮切りに、98年に中田英がペルージャへ。02年のW杯開催を前に欧州行きが主流となった。現在20歳代前半以下の世代は、少年時代から「先駆者」たちの姿を見て育った。

 ◆為末大(ためすえ・だい)

 1978年(昭53)5月3日、広島市生まれ。広島皆実高-法大。男子400メートル障害で世界選手権で2度銅メダル。五輪3度出場。自己ベスト47秒89は日本最高記録。講演活動など、多方面で活躍中。爲末大学の公式サイトは、http://tamesue.jp/