<ラグビー日本選手権:パナソニック30-21東芝>◇決勝◇9日◇東京・国立競技場◇観衆1万9571人

 パナソニック(トップリーグ優勝)が、前身の三洋電機時代も含め、初の2冠を達成した。今季3戦全勝と相性のいい東芝(同3位)に前半10-14とリードを許したが、ニュージーランドから緊急参戦のSH田中史朗(29)と、今季オーストラリアから新加入したSOバーンズ(27)の南半球ハーフ陣の活躍で逆転。30-21で振り切った。

 日本選手権、国立最後のホーンが高らかに鳴った。後半37分に、田中に代わって入ったSHイーリーが、スタンドに球を蹴り出すと、パナソニックの青いユニホームが、ひとつになった。中島則文監督は「最後の80分間、出し尽くした。光栄に思う」と、喜んだ。

 東芝の激しい当たりに苦しんだ。前半19分に先制トライを許し、リードされて前半を折り返した。しかし、王者は「自分たちのプレーをすれば負けない。焦りはなかった」(中島監督)。後半に入ると、23分までに2トライ2G、1PGを挙げて逆転した。

 今季、チームを救ってきたバーンズのキックが、この日もさえた。今週、練習で股関節を痛め「これが最後の試合で良かった」というほど痛みがある。しかし、8本蹴って、7本の成功。圧巻は後半34分のPGだった。約50メートルの距離を楽々と決めた。

 1トライ1Gで逆転可能な6点差と迫っていた東芝の息の根を完全に止めたスーパーキック。それを演出したのが田中だった。スクラムから、俊敏な出足で相手のSHを粉砕。反則を奪いPGにつなげた。「本当に最高の気分」。NZに戻るため、美酒に酔う暇もなく、試合後、空港に直行した。

 過去3季は、サントリー、東芝の2強に、いま1歩及ばなかった。その2チームともに体の強さが武器。パナソニックは、今季、シーズン中の筋トレを週2回から3回に増やし、当たり負けしない体を作った。そこに、田中やバーンズの技が加わり、2強を上回った。【吉松忠弘】

 ◆パナソニック

 1960年(昭35)創部。11年度に、前身の三洋電機がパナソニックの完全子会社になりチーム名を変更した。95年度全国社会人で初優勝(サントリーと両チーム優勝)した。日本選手権は07年度から3連覇を達成。トップリーグでは10年度に初優勝を遂げた。シナリ・ラトゥ、吉田義人ら日本代表選手を輩出。愛称ワイルドナイツは「野武士」の意味。練習場は群馬・太田市。