親方、とうとう、あの世とやらへ逝ってしまったのですね。栃錦の春日野さん、同郷の鏡里さん、現役のときに引き立てた柏戸さん、それに長男の勝雄ちゃん、弟の満ちゃんこと貴ノ花…。懐かしい人たちと、久しぶりに顔を合わせることができるんですね。

 とにかく、新人の相撲記者にとって、あなたは本当に怖かった。「異能力士」と呼ばれていた。相手をたたきつける上手投げ、仏壇返し(呼び戻し)はすごかった。「どうかうちの千代の山にはあれをやらないでくれ」と出羽海親方から、それとなく密使が支度部屋に飛んだとか(笑い)。

 1956年(昭31)9月の秋場所前、長男の勝雄ちゃんがちゃんこ鍋を体に浴びて大やけどを負い死亡した。5月に優勝して綱とりを狙う場所だった。大関は悲しみに耐えて出場した。支度部屋で帰りに着替える様子を見ていると、大きな数珠を首からかけ、さっと車に乗った。夜、後を追って阿佐谷の部屋にいくと、「なんだ君たち、また誰か死んだかと思ってびっくりするじゃないか」とやさしい声をかけていただいた。そして、数珠をかけた写真と「ちゃんこは一生食わんと決めた」とのコメントをいただいた。私の最初のスクープだった。

 あるとき、「おい、柏戸が心配なんだ。こっちへけいこに来るように言ってくれ」と言われた。すぐに両国の伊勢ノ海親方に伝えると大喜びで、翌日から柏戸がタクシーで阿佐谷まで出げいこに通ってきた。後から出てきた大鵬に押され気味だった柏戸を横綱若乃花が心配したのだ。自分の一門なら大鵬だが、一門外の小部屋の柏戸を引き立てようとした。「これは横綱たるものの務めだよ」―横綱の責任というものをこの時ほど強く教わったことはない。

 親方になってから東京相撲記者クラブの記念パーティーに出ていただいた時のこと。「報道陣に言いたいことは?」と質問されると「現役やっているうちは、それほどでもなかったけどね。やめた後は、いろいろ書かれました」とニヤリ。親方―と今でも私は、そう呼びます。どうかゆっくりお休みください。2歳下の私も、いずれお目にかかる日を迎えるでしょう。【日刊スポーツOB宮澤正幸=拓殖大学「人間とスポーツ」客員講師】