楽天星野仙一副会長(70)の野球殿堂入りを祝う会が28日、都内のホテルで行われた。監督歴代10位の1181勝を挙げ、今年1月にエキスパート表彰で殿堂入り。星野氏の交友関係の広さを物語るように会の発起人には政財界、芸能界の重鎮や、ドジャース元オーナーのピーター・オマリー氏らが名を連ねていた。

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 星野は恩人との再会を心待ちにしていた。殿堂パーティーの話が持ち上がった盛夏。「ピーターが、はるばる来てくれるって。ホント、楽しみ。なかなか会えないからなぁ」と話していた。79歳になったピーター・オマリーが発起人に名を連ねていた。所用による欠席が心残りだろう。

 日米球界の交流に尽力したアイク生原(故人、02年に野球殿堂)の紹介で、ドジャースのオーナーだったオマリーと接点を持った。「人脈を大事にしようと思って。招待状をもらえばどこでも飛んだ。旅費の出ない、まさに招待状なんだけど」。評論家時代の1986年(昭61)8月、オマリーを取材する機会があり、勝負をかけた。

 和やかに仕事を終え、マイクの電源を落とすや「私が監督をやるときは、ベロビーチでキャンプをやらせて下さい」と迫った。巨人とドジャースは黎明(れいめい)期から友好関係にあり、ド軍の拠点であるフロリダ州ベロビーチで何度もキャンプを張っていた。外から野球を学ぶ中で、選手の強化、育成は環境が何より重要との確信を持った。オレが将になったら、巨人の聖地に割って入る-。

 黙り込むオマリーに「ベロビーチは世界に開かれているんですよね?」とドジャースの理念を持ち出し、畳み掛けた。熱を受け止めたオマリーは「分かった」と静かに言い、その年の晩秋、中日監督就任が発表されるとすぐ「キャンプに来なさい」と伝えた。

 星野はすぐさま中日新聞社へ向かった。幹部は簡単に納得しなかった。加藤巳一郎オーナー(当時)を「読売の聖地に我々が乗り込むチャンス。読売しかキャンプを張ったことがないんですよ」と口説いた。巨人を「読売」と置き換え、新聞社のライバル心をくすぐり、首を縦に振らせた。「読売のトップは怒っていたらしい。でも、川上(哲治)さんと藤田(元司)さんには褒められたよ。『大したものだ。よくウチの壁を乗り越えた』ってね」。

 オマリーと中日幹部に直談判した当時、39歳の青年だった。眼力と実行力。根底に流れる野球への情熱と野望。「中日はメジャーとオープン戦をやった。台湾、オーストラリアでも初めて試合をやった。メジャーは太平洋くらい遠かったけど、今は荒川、利根川くらい。近くなったろ」。野球とベースボールの距離を詰める。星野の功績の1つだ。(敬称略)【宮下敬至】


 ◆ピーター・オマリー 1937年12月12日生まれ。父もドジャースのオーナーを務めた。親日家で、95年に野茂英雄のド軍入りに貢献。野球を通じた日米親善に対し、15年に旭日中綬章を受章。ソフトバンク王球団会長は「日本の野球の大恩人」と感謝した。