特別な才能は、黙々と練習に取り組んできたからこそ与えられた。代名詞の“真っスラ”を武器に、阪神桑原謙太朗投手(32)はチーム最多の67試合に登板した。

 「握りは真っすぐですよ。投げたら勝手に曲がってたんで…。(真っスラは)“個性”でしょうね。僕もなんで曲がるか、わからないです(笑い)。(直球が)シュートする人もいるじゃないですか。僕はそれが反対でカットする。(大学時代に)気がついたときには曲がってましたね」。

 16年は1軍戦登板なしも、17年シーズンにセ・リーグ最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。前年に1軍を経験せずに個人タイトルを受賞した史上初の選手となった。ある首脳陣からは「桑原がいなかったら2位になれなかった」と言われるほど勝利の方程式として自身の存在を確立させた。

 ただ桑原の胸中はドキドキでいっぱいだったという。「オープン戦は結果が残せていたと思いますけど(シーズンに入って)そりゃ不安はありましたよ。勝負事なんでね。打たれるときもあるし、結果がどうなるかなんてわからない。それを繰り返して、なんとか持った1年という感じです」。そう振り返るが「抑えられたときは自信にもなった」と手応えも語る。3球団を渡り歩き、プロ10年目での覚醒-。諦めず、じっくりと自分の居場所を探した右腕の、粘り勝ちだった。【阪神担当 真柴健】