懐かしい方と再会した気がした。阪急・オリックスと日本ハムで監督通算1322勝を積み上げた、故・上田利治氏(享年80)だ。今季オリックスは、5月24日ロッテ戦から11連勝を達成。球団では、前身阪急の84年13連勝以来の快挙だ。当時チームを率いていたのが上田氏である。当時の知的な笑顔が、オリックスの快挙を伝える紙面を彩った。

上田氏は通算20年の監督生活のうち、15年間で阪急・オリックスを指揮。同じ兵庫・西宮市には超人気球団阪神も本拠地を置く。勝っても勝っても観客は増えない。私は89年から90年にかけて、オリックス担当として接した。ファンのまばらなスタンドを見上げ、担当記者に向かって「今日は君らも記者席から出て、スタンドに座れ。ビールくらいやったら出すぞ」と苦笑したこともある。

とりわけ90年には、近鉄に野茂英雄投手が加わった年だった。本紙の大阪版1面は連日、怪物右腕か阪神の記事で埋まっていた。「なんとかウチを1面にはしてくれへんか」と、冗談交じりに頼まれたこともある。そんな上田オリックスは、6月に入り首位西武を猛追。同月13日のロッテ戦でオリックスは、9回表までリード。記者席で私は、頭の中に80行の原稿を用意していた。ところがその裏、愛甲猛に逆転サヨナラ3ランを浴びる。「オリックス、首位西武に肉薄!」となるはずだった記者人生初の1面記事は、あっけなく5面へと吹き飛んだ。後に「あの試合は1面になるはずだったんですよ」と告げると「それは悪いことをした」と謝られ、逆に恐縮したものだ。結局その年のオリックス関連の1面記事は「本拠地は神戸へ移転」「球団名をブルーウェーブに変更」そして「上田監督辞任」と、グラウンドの外の話題ばかりだった。

03年12月に大阪市内で行われた、殿堂入りパーティーに招かれたのがお目にかかった最後となった。17年7月に、名将は帰らぬ人となった。横浜市内で営まれたお通夜に伺い、遺影に向かって「こちらの力不足で、試合の1面を書くことができませんでした」とわびた。

今季の11連勝を導いたのは、上田監督の退任間際に正捕手となった中嶋聡監督(52)である。当時とは比較にならない隆盛を見せるパ・リーグだが、新型コロナウイルスのため客席は寂しいままだ。秋には大観衆に見守られた、上田氏の教え子の胴上げが見たい。そしてそれを伝える本紙の1面も、ぜひ墓前へと届けたいと思っている。【記録担当=高野勲】