試合前ノック開始のアナウンスが流れると、龍谷大平安(京都)原田英彦監督(60)の耳に大きな拍手の音が聞こえてきた。「なんか、涙が出そうになりましたね。いつもと違う空気、音。ああ、特別な夏の大会なんだなって」。スタンドには一定の距離を保ち、マスクを着用する控え選手と保護者。誰一人として、声を出さなかった。「(試合前の)こういうところでも『平安野球』を体現してくれたな、と思いました」。さまざまな思いが巡り、目頭が熱くなった。

7月24日、嵯峨野戦で戦況を見つめる龍谷大平安・原田監督(撮影・磯綾乃)
7月24日、嵯峨野戦で戦況を見つめる龍谷大平安・原田監督(撮影・磯綾乃)

春夏通算18回の甲子園に導いた名将も“初めての夏”。勝って終わることも、負けて終わることもできない。「目標がないのは、いたたまれない。仕方ないけど、正直悔いても悔いきれない。この3年生をできる限りの形で送り出してあげたい」。京都大会は7イニング制で、本来の8強に当たるブロック決勝が最終戦。龍谷大平安は4試合全て、3年生で挑んだ。3試合はできる限りの選手を出場させ、最終戦は3試合の活躍と結果、これまでの努力を考慮した「ベストメンバー」。3投手の継投による“ノーヒットノーラン”の7-0で勝利し、バッテリーを中心とした堅実な守りの平安野球を体現した。「一番いいゲームができました」。限られた中で完全燃焼する方法を模索した結果だった。

甲子園出場を決めるたび、原田監督はオリジナルデザインのTシャツを作製する。聖地を目指すことすらできなかった今年、Tシャツを作った。白地に「H」マークの帽子柄。つばのロゴ部分には「2020 102nd Phantom koshien」の文字。幻の甲子園-。OBの巨人炭谷らからは「何か僕たちにできませんか」と連絡があった。Tシャツの裏側には、協力してくれたOB4人の背番号が入っている。左上と右下に「H」マークが入ったオリジナルマスクも作った。約150枚の作成に、協賛を名乗り出てくれたOBもいる。「この子たちにはこれぐらい、やってあげたいと思うんですよね」。原田監督は優しい顔でそう話した。

夏の戦いが終わった直後、グラウンドで3年生だけを集めて、原田監督は語りかけた。「周りの人への感謝を伝えないかん」「誰かと同じようにするのではなく、自分の道は自分で模索していきなさい」。これまで当たり前にあった選手たちとの時間は、未知のウイルスに奪われた。「3年生の3~5月が一番心が成長する時期。それを奪われた。卒業するまでに、できるだけ詰め込んでやりたい」。まだまだ教えたいことがたくさんある。【磯綾乃】