日本人選手がメジャーで活躍するのが当たり前になった平成時代だが、そこに至るには先人たちの苦労があった。通訳や代理人として日米で多くの選手をサポートし、2007年(平19)に手術で男性から女性へ生まれ変わったコウタ(56=本名・石島浩太)。女優、ギタリストとしても活動する彼女の波乱の人生と日米の野球史を振り返る。

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18年7月20日、コウタは緊張の面持ちでメットライフドームにいた。

西武元監督の森祗晶(82=日刊スポーツ評論家)が球団40周年記念事業のゲストとして招かれていた。93年に通訳として西武に入団したコウタにとって、常勝軍団を率いていた森は野球のすべてを教えてくれた存在。関係者を通じて実現した久しぶりの対面に心が躍った。

「役者もやるようになって、どこに行っても緊張なんてすることはなくなっていたのに。森さんの前ではカチンコチンになっちゃって。直立不動で『あの時のライオンズは最高でした』なんて言ってた(笑い)」。スリムになり、ダンディーなヒゲをたくわえ「めちゃくちゃ格好良くなっていた」という恩師と感動の再会。さらに田辺徳雄や西口文也ら、かつての盟友からも温かい歓迎を受け、性別適合手術を受けて以来、疎遠になっていた球界と再びかかわりたい気持ちは強まった。

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幼少時から自分が女性だと思って生きてきた。東京中の姓名判断を回り「浩太」という名前を考えてくれた祖母みよは、コウタが生まれる2日前に死去。そのため「自分は祖母の生まれ変わりだ」と信じ、物心がついた時から母幸子には「僕は男の子じゃない」と言い続けてきた。

3歳の時、遠縁の人間から性的虐待を受けて東京・築地の聖路加病院に入院した。「性的に異質な部分は、分かる人には分かってしまうもの」。通信社記者だった父襄二の仕事の関係で、子供時代に日米、英国、インドなど30回以上も引っ越した。息子の女性的な部分に気づいていた両親は「性根をたたき直す」とばかりに高校生になったコウタを南カリフォルニアの軍隊学校「アーミー&ネイビー・アカデミー」に入学させた。

ここでも子供の頃と同様の事件は起きた。「今は優秀になっているけど、当時は全米中のワルが入れられるような学校。またひどい目に遭ってしまって」。ますます自分が女性であると意識せざるをえなくなった。

一方で当時からギターを弾くのが好きで「何かを表現したい」という気持ちは強かった。軍隊学校に芸術の授業はなかったが、マーチングバンド担当の教師が理解のある人物で、ヘビーメタルバンド、ジューダス・プリーストの曲をマーチ用に編曲してギターを演奏させてくれたりした。

アートな感性をはぐくんだコウタはニューヨークのパーソンズ美術大学へ進学し、電通に就職。その後、88年に最初のターニングポイントが訪れる。(敬称略=つづく)【千葉修宏】

◆コウタ(本名・石島浩太)1962年(昭37)3月15日、東京生まれ。ダイエー(現ソフトバンク)、西武の通訳、渉外担当を歴任。97年ヤンキース環太平洋業務部長。98年バレンタイン監督のメッツへ移る。02年に巨人とヤンキースの業務提携に尽力。日米野球やWBCにもかかわる。04年からホルモン治療を始め、07年に性別適合手術を受け女性に。現在は女優、俳優長谷川初範のバンド「Parallel World」のギタリストとして活動。映像配給会社で英テレビ局の日本向け担当も務める。