香川2度目の甲子園出場となった1979年(昭54)のセンバツには、さらに高校野球ファンが興味を示した話題があった。「ドカベンVS球道くん」。水島新司が描く漫画の主人公2人が、甲子園の夢舞台で顔を合わせた。

 水島は「少年ビッグコミック」に、中西球道と名乗った剛球投手を描いていた。76年南海ホークス(現ソフトバンク)の高知キャンプを訪れた際、地元に主人公と同姓の「中西」という本格派投手がいることを聞きつける。それが高知商の中西清起(現日刊スポーツ評論家)だ。

 「球道」のモデルになった中西は香川の1つ年下で、2回戦で浪商と対戦した。ピッチャーとしての出番はなかったが、「6番右翼」で4打席2安打。香川は1回に中西が守ったライトに大きな犠飛を放って、これが決勝点になった。

 中西 こっちに飛んできたライナーにいったん前に出たが、グイーンっと伸びた。フェンスぎりぎりのところで捕球するのがやっとでした。うちは田舎のチームで、浪商は完成されたチームだったから、力は雲泥の差でしたよ。

 水島は「ドカベン」と「球道くん」の登場をスタンドで見届けた。そして、試合後に2人と握手をして激励した。香川は「水島さんがきてびっくりしました」と語っている。

 降雨のなか行われた準々決勝の川之江(愛媛)戦は延長13回、3時間22分の熱戦の末、浪商が4-3でしのいだ。そして準決勝の東洋大姫路(兵庫)戦での香川は、2回に「甲子園2号」になる左越え同点本塁打を放つ。シーソーゲームになったが、8回に浪商7番・川端新也の決勝打、牛島和彦の好投で5-3と競り勝った。

 浪商にとって春に限れば、55年第27回センバツで浪華商として桐生(群馬)を4-3で下して優勝して以来、24年ぶりの決勝進出。箕島(和歌山)との一戦は球史に残る名勝負になった。浪商は秋季近畿地区大会で箕島を8回コールドの11-4で下していた。

 主導権を握ったのは箕島だが、3点ビハインドだった浪商が6回に同点に追いつくと、その裏、箕島が1点を勝ち越した。浪商は7回、3番山本昭良、4番香川の長打が絡んで2点を奪ってひっくり返した。

 浪商は箕島の好投手だった石井毅(現在の氏名は木村竹志)に13安打を浴びせた。その女房役で1番打者の嶋田宗彦(現阪神球団スコアラー)は、香川に2安打を許しながら、マスク越しに大接戦を演出した。

 嶋田 うちは勝ちたいとは思ったけど、勝てるとは思っていなかったです。牛島-香川は高校球界NO・1のバッテリー。打線もすごかった。どうやって香川の長打を防ごうか、そればかり考えていました。当たればホームランになる確率が高いので、どうしても外角中心になった。

 この試合の焦点は7回裏、1点を追う箕島の攻撃だった。4番北野敏史が右越えソロ本塁打で同点に追いつくと、続く上野敬三が右中間を割る三塁打。浪商エースの牛島は4連投で限界にきていた。

 ここで箕島監督の尾藤公が奇策にでた。(つづく=敬称略)

【寺尾博和】

(2017年7月30日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)