日本で初めてスクイズを成功させてから112年。松本深志監督の守屋は、ひょうひょうと語る。

 守屋 それが、僕はバントをしない男でして。(スクイズ1号校に)反発しているわけではないんですけどね。OBにはよく怒られます。「1点を取る野球がなっとらん」って。昨年の夏、8強に行ったのに犠打、盗塁ゼロでした。僕なりに根拠はあるんです。相手に1アウトをあげるのが好きではないんです。

 どうやら、スクイズは継承していない。ただし、伝統校の真骨頂は、違うところにある。

 創部100年を記念して04年2月に刊行された「松本深志高校 野球部の一世紀」に、1906年に行われたスクイズの解説がある。米国遠征した早大の土産として、米国の野球年鑑を入手。松本に持ち帰って、部内で英字文献を研究したのが、同年8月末か9月初旬。「ラン・アンド・ヒットで1点を奪う」と書かれている。走って1点を取るとは、どんなプレーなのか。議論の末にたどり着いたのが、走者三塁からのバント・エンド・ランだった。

 挑戦すべき方法は決まった。次に配役を決めた。俊足の9番左翼・藤沢が三塁走者で、安打はあまり期待できないが、バントのうまい2番中堅・大沢が打席のケースでチャレンジしようと決めて、練習を重ねた。約1カ月後、まさにその場面がやってきた。それが日本初のスクイズだった。

 スクイズには消極的な現監督の守屋だが、先人の先進性と独創性を大事にしている。

 守屋 選手たちには、自分で考えるようになってほしいんです。卒業後に、それぞれの場所でリーダーになってほしいので。

 その思いから生まれたのが(1)丸刈り禁止令(2)週2度のオフだ。週休2日は監督就任の14年から始めている。主将で143キロ右腕の小林絃(3年)は言う。

 小林絃 1年の冬に監督からボウズ禁止令が出ました。「お前ら、相手の気持ちが分からないから、ボウズをやめて彼女を作れ」って。彼女を作ったら、彼女の気持ちを分かるように行動するでしょと。

 恋愛が野球に生きるとは、この連載で桑田真澄も話していた。監督が推奨すれば大きな推進力になる。小林絃も「彼女いないので、頑張ります!」と元気に恋活宣言した。

 「月曜日と木曜日はオフ。年末年始は10連休でした」と守屋。進学校のため、勉強する環境作りの意味もあるが、2度のオフは、何より自主性を育む基礎となる。普段の練習も、監督やコーチの指示を待たずに、選手たちで進められる。選抜の21世紀枠に推薦される一方、進学でも今春は超難関医学部に野球部から3人合格(浪人含む)。文武両道の王道を進んでいる。

 「深志といえばスクイズっていわれるのは誇りでもあります」と語るのはOBコーチの大久保隆志(63)だ。「以前のOBの中にはスクイズは深志の特許だとばかりに、スクイズで負けた日には怒っちゃう方もいた」と、かつての応援を懐かしむ。さらに続けた。「先進性と独創性。それが自分たちのスタイル。スクイズ以前に、塁に出たり、どうすればスクイズに至るのか、選手たちが考えてくれれば。引き継ぐのはそういうところではないでしょうか」。スクイズを生んだ土壌は今もなお、確かに受け継がれている。(敬称略=おわり)【金子航】

松本深志エース小林綾の投球フォーム
松本深志エース小林綾の投球フォーム
松本深志の主将・小林絃投手の投球フォーム
松本深志の主将・小林絃投手の投球フォーム