夏の甲子園100回大会を前に「卒業ホームラン」「熱球」「赤ヘル1975」など野球にまつわる作品でも知られる作家・重松清氏(55)に話を聞いた。高校野球についての思い出や、これからの甲子園のあり方などについて語ってもらった。【取材=千葉修宏】

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 自分が作家としてどんな物語を描くか、という根っこの部分で、高校野球には人間ドラマの原点みたいなものをたくさん教わってきた。

 物心ついたころから太田幸司さんの延長18回とか感動的な試合の記憶が刷り込まれていたし、ライバル物語もたくさんあった。原辰徳さんだったらお父さんとの「親子鷹」。それから逆境の中で頑張る雪国の物語とか。銚子商が出てきたら大漁旗が振られたり、広島の学校だったらしゃもじみたいな、ふるさとの物語もある。

 自分が高校野球を見てきた中で、やっぱり印象に残っているのは荒木大輔さん。僕が高校3年のときに1年生で出てきた。大学に入って東京で下宿したのは早実の裏側だった。だから、もうずっと「ダイちゃん」目当ての女の子がグラウンドをのぞいたりしてて。あの時、しみじみと「オレは東京に来たんだなあ」って思った(笑い)。

 あの頃、荒木さんがいて、その荒木さんを粉砕した池田高校があって、その池田を破ったPL学園があって…80年代前半の群雄割拠状態はすごかった。プロ野球と違って高校野球って3年間だから、自分と同世代の選手、チームのことは強く印象に残っている。「松坂世代」なんて、その最たるものでしょう。松坂大輔さんが今年復活したというのを僕たち50代半ばのオヤジ以上に感慨深く見ているのは、30代後半のみんなだよね。高校野球は、世代共通の「あの夏」っていうものを語れるのが魅力じゃないかな。

 そして日刊スポーツをほめるわけじゃないんだけど(笑い)高校野球って他の高校スポーツ以上にずっと報道を通じて物語として語られてきたじゃない。日刊スポーツとかNHKとかの「報道の物語力」が高校野球人気を支えてきたっていうのは圧倒的にあるよね。江川卓さんの最後の1球で、初めてそこで作新学院がひとつになったとか。本当に物語としてよくできてる。

 指導者にしても、星一徹的なスパルタ指導者がいれば、上甲監督みたいなスマイルでいく監督もいるし、策士として知られる監督もいる。あの「攻めダルマ」池田高校の蔦さんがいて、沖縄を大きくした栽さんがいて、みたいな。いくつものストーリーがある。

 100回大会ということは、100年間ずっとヒーローが生まれてきたということ。それも優勝したからヒーローになったわけじゃなくて、悔しさがまたヒーローを生んだりもする。優勝校のエースで4番ばかりがヒーローだったら、こんな単純な話はないわけで。

 高校野球には「健闘することの素晴らしさ」があると思う。だからこそ、高校野球の物語は、敗者をたたえつづけ、レギュラーを獲れなかった部員や裏方さんへの目配りも忘れなかった。僕たちは、高校野球の物語を通じて、感動の引き出しの数を増やしてもらってるんじゃないかな、と思ってる。(つづく)

 ◆重松清(しげまつ・きよし)1963年(昭38)岡山県生まれ。早大卒。出版社勤務を経て91年「ビフォア・ラン」で作家デビュー。99年「ナイフ」で坪田譲治文学賞、「エイジ」で山本周五郎賞。01年「ビタミンF」で第124回直木賞。現代の家族を大きなテーマとしている。