就任会見に先立ち行われた対談で岡田彰布前監督(左)から花束を渡され、笑顔を見せる真弓明信新監督(2008年撮影)
就任会見に先立ち行われた対談で岡田彰布前監督(左)から花束を渡され、笑顔を見せる真弓明信新監督(2008年撮影)

唐突ですが、昔を振り返り「JFK」のことを書く。

球界の革命的システムと評された体制。2004年、阪神の監督になった岡田彰布と投手コーチの中西清起が綿密に検討を重ね、準備して作り上げた。「相手のラッキーセブンをまず抑え込む」。ここから8、9回を牛耳る。2005年から本格稼働して、リーグ優勝につながった。

ところでこの「JFK」がいつ解体となったか、ご存じでしょうか。それは2008年のオフである。岡田がこのシーズン、V逸の責任を取り辞任。後任が真弓明信に決まった。その時、日刊スポーツで新旧監督の対談ができないか…となった。当初、2人とも後ろ向きだったが、何とか説得して、実現にこぎつけた。真弓の正式就任発表の直前。2人を会わせた。

同じ「アキノブ」つながり。真弓は岡田を「オカ」と呼び、岡田は「真弓さん」と呼ぶ4歳違いの間柄。真弓は新構想を明かした。

「実は久保田を先発に配置転換する」。当時は阪神の先発投手陣は手薄だった。真弓も新監督として「真弓色」を出したかった。だから真弓の気持ちは理解できたが、それを聞いた岡田は真っ向否定。忖度(そんたく)なしで反対した。

「えっ、先発ですか? それは違うと思いますよ。久保田は先発タイプではないし、リリーフで力を出す投手なんですから」。そうはいっても、決めるのは監督だ。真弓は本当に久保田を先発に回し、岡田はそれをネット裏から見る2009年になった。

2009年7月16日、阪神対中日11回戦 3回表中日1死二塁、久保田は藤井に右前安打を打たれたところで降板
2009年7月16日、阪神対中日11回戦 3回表中日1死二塁、久保田は藤井に右前安打を打たれたところで降板

その2009年、久保田の成績を振り返る。出場試合は1試合のみ。それが先発でのマウンドだったが、3回途中で7安打を浴び4失点。それが最後で、そのシーズンはマウンドに上がることはなかった。

失敗に終わった配置転換…。あの時のことを投手コーチになった久保田に聞くと、思わず顔をしかめて「もう思い出したくないですよ」。それほどの苦い経験だった。

だから投手コーチとして「適材適所」を考える。今年の沖縄・宜野座キャンプ。ブルペンは壮観だ。先発組、セットアッパー組、クローザー組と、それは力とセンスにあふれた陣容で、今後、どう配置していくかが注目の的になる。

JFKを構築した岡田と、一翼を担った久保田(投手コーチの安藤も先発、リリーフを両方経験している)がどう決めていくのか。例えば話題の門別に関して「最初はセットアッパーで?」と問うと、岡田は「違う、違う。そら先発よ。そらそうやろ。先発タイプやんか」と断言。成長著しい岡留には「まあ中継ぎで伸ばしていく」と、こちらは強力セットアッパーに育てることにしている。

一軍に生き残ることも難しい現状の投手スタッフ。岡田自身、「これはなかなかきつい」とさえ漏らす狭き門なのだが、その中で「適材適所」を的確に判断する。これが首脳陣の責任となる。

かつて岡田-中西ラインでJFKを作り、今度は岡田-安藤、久保田ラインで絶対のスタッフを構築する。成功と失敗を経験しているコーチが構えているのが、大きな強みとなる。【内匠宏幸】(敬称略)