岡田彰布は怒っていた。本気で怒っていた。監督復帰する前、評論家時代のことである。怒りの矛先、それは木浪、北條に向けたものだった。

矢野体制下、ショートのポジションを争っていた2人。ところがいとも簡単にルーキーに抜かれてしまった。「なあ、何をしてたんやろな。新人にポジションを奪われてな。ホンマ、情けないわ」。2021年。いまから3年前のこと。ネット裏から阪神のゲームを追っていた岡田は、ポジションを奪った中野より、木浪、北條の成長のなさを嘆いていた。

「でもな、レギュラーを取った新人、コイツはただ者ではない…とも思ったわ。守備の堅実さ、フットワークのよさ。肩の強さは微妙やけど、バッティングもシャープやし。あの2人が抜かれても仕方ないか、とも思い出していた」。そこで中野のキャリアを調べた。山形県出身で、日大山形から東北福祉大に進み、社会人の三菱自動車岡崎を経て、ドラフトで阪神に指名され入団…。「それもドラフト6位よ。こんな選手、よく残っていたもんやし、スカウトの眼力はたいしたもんや」。岡田はいつの間にか、中野がとても気になる選手になっていた。

中野は1年目からブレークした。いきなり盗塁王になり、新人特別賞も。2年目にはベストナインに選ばれ、リーグ有数の遊撃手になった。ますます気になる存在となった中野と、まさか監督と選手として接するとは…。2023年、岡田が阪神の監督にカムバックし、そこでいきなり中野を動かした。ショートからセカンドへのコンバート。あくまで中野をより生かす方策は、副産物を生む。

沈んだままだった木浪をショートで再生し、岡田が胸を張る二遊間の誕生。すべては気になった中野を核にしたシフトチェンジが優勝に結び付いた。

岡田から中野への苦言は聞いたことがない。ボヤキがないのは近本と中野の2人くらいではなかったか。「そらすごいやろ。ポジションが変わったのにそこでフルイニング出場よ。とにかく安定している。技術もそうだし、心もな」。べた褒めが続く。

そんな中野は今年から選手会長に。岡田の意向で阪神にはキャプテン制がなくなり、選手のまとめ役は会長になった。昨年まで近本だったが、中野が受け継ぐことになった。これもまたベストな指名。中野のインタビューの受け答えはいつも落ち着き払い、浮ついたところがみえない。本当にしっかりしている…という印象を周囲に与えている。

「オレも選手会長をやった。カケさん(掛布)から、次はたのむぞ、と言われて」。1985年、日本一の時の選手会長は、時に選手だけでミーティングを開き、チームをまとめることに注力した。「選手会長だから、というのはあまり気にしてなかったけど、大事な時には、やっぱりいろいろ考えたわ」。そんな選手会長の先輩は、中野には全幅の信頼を置く。コンバートを進めた身として、もし失敗していたら優勝はなかったかもしれないし、中野の野球人生を狂わせたかもしれない。それをいとも簡単に乗り越えてくれた。

ドラフト6位の選手会長! なかなかいい響きである。【内匠宏幸】(敬称略)