「1勝1敗」に持ち込める…という広島ファンの希望を砕いたのは間違いなく森下翔太の一撃だ。1点ビハインドの4回1死走者なしから九里亜蓮のスライダーをとらえ、左翼席へ豪快な同点弾。まだ同点だったが虎党はもちろん、阪神ベンチにも「これでいける」という確信を与えた本塁打だったと思う。

「記録的なアーチ」でもある。いわゆるポストシーズン(PS)に限れば阪神のルーキーがPS最初の試合で本塁打を放つのは85年、西武との日本シリーズで嶋田宗彦が東尾修から本塁打を放って以来、38年ぶりのことという。言うまでもない、85年はあの日本一のシーズンである。

あれから38年が経過したが嶋田は“過去の人”ではない。61歳の現在、バッテリーコーチとしてベンチにいる。勝利の輪の中から出てきた嶋田にその“記録的事実”を伝えてみた。

「ええっ? そうなんですか? タイガースで? それはまったく頭になかったなあ。東尾さんから打ったのはもちろん覚えているけど。内容なんて、全然、記憶にない(笑)。とにかくガムシャラに行っただけですよ」

東尾と嶋田は箕島高の先輩後輩。忘れようはないのだが当時の気持ちはそれだけだった様子。それにしても“ただもの”ではない。前回、指揮官・岡田彰布で優勝した05年、嶋田は今回と同じバッテリーコーチとしてベンチにいた。さらに闘将・星野仙一で勝った03年はブルペン担当のバッテリーコーチだ。つまり今季を含め、近年3度の優勝シーズンに、すべて「同じ職務」でベンチ入りしている。阪神の中で、そんな人物は他にいない。

「まあ、でも、自分に比べれば森下は余裕があったんじゃないの」。ドラ1ルーキーに敬意を表してか、嶋田はそう笑って、ロッカールームに姿を消した。65歳の指揮官・岡田彰布、さらに64歳のヘッドコーチ・平田勝男、そこに加え、嶋田と60代の男たちが引っ張るニュー阪神というのも面白い。

そして「普段通り」を強調していた岡田、9番の打順のところは激しく動いたが、野手8人は不動のままだった。これも普段通りだろう。「おお。熊谷(敬宥)にレフト守らせとこかな、おもたけど…。まあエエわ言うて」。岡田もニンマリ笑っての「2勝0敗」だ。19日にも“王手”をかける気配ではある。(敬称略)【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「虎だ虎だ虎になれ!」)


◆85年日本シリーズ第3戦西武戦(甲子園)での嶋田宗彦本塁打 7回代打を送られた捕手の木戸克彦に代わり23歳の嶋田宗は8回の守りから出場。3-6と3点を追う9回に回ってきた打席で、東尾修から左中間へソロ本塁打を放った。新人のシリーズ初打席本塁打は、史上初の快挙だった。箕島(和歌山)の大先輩に浴びせた一打に「打たせてもらって、なんだか申し訳ないです」と照れた。試合は4-6で敗れた。

85年日本シリーズ第3戦 阪神対西武 9回裏阪神2死、左越え本塁打を放ち二塁へ向かう嶋田宗彦
85年日本シリーズ第3戦 阪神対西武 9回裏阪神2死、左越え本塁打を放ち二塁へ向かう嶋田宗彦