中越が12年ぶり9度目の甲子園出場を決めた。2年連続で甲子園出場している日本文理相手に圧勝。1回裏1死二、三塁の場面で打撃好調の波方凌(3年)が右翼越え2点三塁打を放って勢いをつけると、そのまま快勝へ突っ走った。先発の高井涼(3年)は、昨夏甲子園4強の文理打線に7安打2失点で完投。夏の出場9度は県内最多となった。

 高井と波方のバッテリーが抱きついているところへ、中越ナインが次々と飛び込んできた。日本文理最後の打者・山口尚輝(3年)を遊撃へのゴロに仕留めると、歓喜の瞬間が訪れた。喜びの輪は、みるみる分厚くなっていく。03年に出場して以来、11年間悔しさを味わってきたOBたちの分まで爆発させたような勝利の人垣。本田仁哉監督(38)は「長すぎてここでは…。(過去の)負けとか、失敗がここまで強くしてくれた」と言った。

 波乱の夏を、順当に駆け上がって県の頂点に立った。第2シード新潟県央工、第4シード上越が初戦で姿を消す中、中越が収まるべきポジションに収まった。0-0で迎えた1回裏1死二、三塁で先制の右越え2点三塁打を放った波方は「初回に、いい場面がきたので『よっしゃ』と思った。ああいう場面で打ってこそ、4番です」。重圧のかかるシーンに頼もしいほど緊張していなかった。

 秋春の県王者は、受けて立つより挑戦者として大会に挑んでた。「今年は甲子園しか見ていない。そこで、どれだけ活躍して躍動するか。それを目標にしてきた」と本田監督。だからこそ、決勝を伸び伸びと勝ってクリアした。日本文理の強力打線を7安打2失点でかわした高井は、直球とスライダーのコンビネーションを駆使して9回完投。「自分らしい腕の振りで、打者を打ち取れた」と話した。

 大会直前に見舞われたアクシデントも、チームをひとつにした。6月25日のノックの練習時に主将の斎藤颯(りゅう=3年)が右足首骨折。1年秋からの主力で、精神的支柱の主将を欠く布陣で開幕を強いられた。本田監督は「非常にショックだった」と振り返る。ところが、選手たちは逆に主将の故障を発奮材料にした。主将を甲子園に連れていくことを、新潟大会のモチベーションにした。

 甲子園の大舞台を復帰の場にしようと意気込む斎藤主将は言う。「県大会で負ければ高校生プレーヤーとしての自分は終わっていた。みんなに感謝です」。グレーのユニホームが12年ぶりに甲子園の土を踏む。本田監督は「力を出せば全国でも勝てる選手たち」と、12年ぶりを勝ち取ったナインのパワーを信じていた。【涌井幹雄】

 ◆中越 1905年(明38)創立。普通科だけで生徒数974人(女子387人)。創部は56年。部員数95人。夏の甲子園出場は9度目。主なOBは元阪急、ダイエー投手の今井雄太郎、広島今井啓介ら。所在地は長岡市新保町1371の1。八田元史校長。

◆Vへの足跡◆

2回戦13-0三条

3回戦10-0新発田南

4回戦7-2上越総合技術

準々決勝7-2北越

準決勝10-3小出

決勝7-2日本文理