ノーシードながら優勝候補に数えられている日本文理に、頼もしい投手が戻ってきた。昨秋の北信越大会(富山)でエースナンバーをつけていた藤塚光二郎(3年)だ。春先に右肩を故障して春の大会は登録外だったが、背番号10でメンバー入り。昨夏の決勝(対中越)で敗戦のマウンドを経験しているだけに、最後の夏は回復した右肩をうならせる。

 フォームを確かめながらキャッチボールする藤塚の表情には、2つの思いが複雑に混じっていた。右肩故障で今春の登録メンバーを外れた悔しさ。夏の大会に間に合った喜び。交錯する思いを右肩に集め、腕を振り切る。今季のデータはないが、昨秋の北信越大会では最速140キロをマーク。「持ち味は制球力。最後の夏は後悔しない」と言った。

 藤塚が右肩に違和感を覚えたのは、3月下旬の九州遠征後だった。「肩がおかしい」という自覚は、次第にボールを投げられないほどの痛みに変わった。はり治療、電気治療を施しなから別メニュー調整。走り込み、チューブトレーニング、肩のストレッチなどを黙々とこなして回復に努めた。

 マウンド復帰は6月19日。福島・日大東北との練習試合(19-1)で、藤塚は3回を無失点に抑えた。「故障前の練習試合登板から復帰まで、77日間を費やした」。夏の開幕まで1カ月切っていたが、復帰後初登板で手応え。「夏へ焦らなかった。少し抑えて練習してきた」と、抑えたパワーを夏に爆発させる。

 昨秋の県大会覇者は今春、3回戦で北越に敗れ夏のシード権を失った。スタンドで応援していた藤塚のもとには敗退後、多くのOBから励ましの連絡がきた。2年先輩のDeNA飯塚悟史投手(19)からは「夏は、お前の力が必要だぞ」というメールが届いた。「やってやるぞ、という気になった。周りの支えに感謝しながら投げたい」。

 昨夏、背番号20をつけていた藤塚は中越との決勝(2-7)に先発し、5回7安打7失点で降板した。「昨年は自分が一番、悔しい思いをしている」と、その悔しさも右肩に注入する。闘志を内に秘めて投げるタイプだが「決勝で、また投げて勝ちたい」と気迫を前面に出していた。【涌井幹雄】

 ◆藤塚光二郎(ふじつか・こうじろう)1998年(平10)7月3日、五泉市出身の18歳。五泉北中卒。野球は五泉小3年から五泉ドラゴンタイガースで開始。高校のベンチ入りは1年秋。昨秋の北信越県大会は背番号10だったが、本大会では背番号1。プロ野球は巨人のファン。右投げ右打ち。177センチ、75キロ。血液型A。