茨城県勢で初めて甲子園に出場したのは竜ケ崎中だ。1917年(大6)、第4回大会で甲子園に出場した。今の竜ケ崎一である。

 初めて甲子園に出場した17年から5大会連続で甲子園の土を踏み、以後夏は計9回、春1回甲子園に出場している。昨夏は優勝候補の1角だった明秀学園日立を破って2年連続8強入りするなど、チーム力は決して衰えていない。今夏も伝統を力に変え、甲子園出場を虎視眈々(たんたん)と狙っている。

 伝統はいまも同校に息づいている。正門を入ると、大きな野球ボールがあしらわれた記念碑が立つ。野球ボールには伝統の「R」のロゴマーク、六角形の碑には甲子園出場、関東大会の結果が細かく刻まれている。グラウンドの三塁側ベンチ脇には、初代野球部部長兼監督の西村初太郎氏の功績をたたえ、学生野球の父と呼ばれる飛田穂州氏の「偉なるかな西村精神 連続優勝実に五回」の書が刻まれた大きな石碑が部員たちを見守る。昇降口付近には歴代の「R」のユニホームが並び、歴史の長さを感じさせる。

 同校OBは、現在も指導者として茨城の高校野球の発展に寄与している。今の茨城県内13校の監督が同校の卒業生である。部長やコーチも含めると、とても数え切れないほど。そして同校の津脇義明監督(52)もその1人である。「他県の高校さんと練習試合をやっても、『いや懐かしいねぇ』とよく声をかけられますよ」と同監督。OBが指導者として携わっている高校を招いて行われる「Rカップ(竜ケ崎一高杯)」も毎年11月に開催されるようになった。OBの絆は強固だ。

 「R」の伝統のユニホームは憧れを呼ぶ。同監督も「『R』のユニホームが着たいと思っている生徒は非常に多い。子どもに『R』を着せたいと思っている親世代も多いです。毎年、市民の皆さんからも『今年はどうだ?』と声をかけられますね」。主将としてチームをけん引する大松勇汰三塁手(3年)も「野球の伝統校で、他の県立高より特別ですね」と話す。地元の人たちも、同校の活躍を毎年のように楽しみにしている。

 一昨年の夏はすべて逆転勝ち。昨夏も強豪の明秀学園日立相手にサヨナラ勝ちを収めた。「後半まで食らいついて勝ちきってしまうのが、自然とチームの形になってきた」と津脇監督。第100回大会の夏を迎えるにあたり、4番三谷俊介一塁手(3年)は「目の前の投手や1人1人に勝負を挑めれば」。大松は「先輩から引き継いだ、伝統の粘り強さを大事にしたい。勢いをつくって波に乗りたい」とそれぞれ言葉に力を込めた。

 在籍生の7~8割が国公立大への進学を希望している名門進学校。部としての朝練は一切ない。大学でも野球を続ける選手は少なく、だからこそ3年生にとって最後の夏にかける思いは強い。大松も「今出し切ることに集中しています」。9日の1回戦の相手は、ともに甲子園出場経験をもつ日立工に決まった。長年培った伝統を力に変え、竜ケ崎一ナインは飛躍を誓う。【戸田月菜】