「3・11」に無念の知らせが届いた。東日本大震災で避難を余儀なくされるなど、幾多の困難を克服してセンバツ切符を手にした磐城(福島)が、中止決定を受け入れ、夏への力に変えると誓った。

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21世紀枠で46年ぶりのセンバツ出場が決まっていた磐城・木村保監督(49)は、無念の表情で会見に臨んだ。「仕方がない。ただ、代表に選ばれたのは間違いない。甲子園に足を踏み入れたか踏み入れなかったかの違い。胸を張って自信を力に変えて、一歩一歩前を向いて突き進んでほしい」と選手を思いやりながら必死に気持ちを切り替えた。

4日から休校、部活動も自粛中とあって選手は不安を抱えながら自主練習を続けてきた。木村監督は自らが休みの7、8日に練習を訪れた。岩間涼星主将(2年)が円陣で「今日やる練習は自分たちのためであって、ゆくゆくは絶対に夏につながる」と開催が不透明な中、仲間に声を掛けている姿を頼もしく見つめた。「ジンときました。大したもんだなと思った」。

くしくも3月11日に中止が決定した。小学1、2年で東日本大震災を経験した20人の部員たちは、大半が放射能の影響で県外避難を余儀なくされた。この日も練習を中断し、地震発生時の午後2時46分に黙とうをささげた。木村監督は「この日か、というのが正直なところですが、こればかりは選んだわけじゃないですし。3・11で普通の生活が当たり前じゃないんだよと教えられた。一緒にしたくはないですけど、生きていく上で力に変えなければならないのかなと思いました」と試練を受け止めた。 

文武両道を貫き、71年夏には準優勝を果たし、青を基調にしたユニホームからコバルトブルー旋風と呼ばれた。昨秋の東北大会では台風19号の直撃を受ける中、2勝を挙げ8強進出。ボランティア活動など地域貢献も評価され、95年夏以来の甲子園に地元は盛り上がっていた。「コバルトブルーを着た選手たちが躍動する姿を見せたかった。今回はかないませんでしたけど、まだチャンスはある。自分たちから甲子園の切符をもぎ取ってほしい。前に進むしかない。さらに強くなって、たくましくなっていってほしい」。木村監督は選手たちのたくましさに期待を寄せた。【野上伸悟】