日本高野連の事務局長だった田名部和裕氏(75)が、任期満了で日本高野連理事を退任する。

19日の同高野連の評議員会で、新理事と交代する。関大から1968年に日本高野連事務局に入り、93年に第6代事務局長に就任。95年の阪神・淡路大震災直後の選抜大会を運営した。未曽有の災害に見舞われた被災地の状況に気を配りながら、時期的にも物理的にも開催は困難と見られたセンバツをやり遂げた。またプロアマ、特待生など高校球界に関わる諸問題への対応に尽力してきた。

事務局長退任後、05年からは参事として、10年から日本高野連理事に就任。同高野連の70年史編さんという地道な仕事も完遂した。

理事退任の前年、新型コロナウイルス感染拡大による春夏の甲子園大会中止に直面。コロナ禍の終息が見通せない苦境が続く中、2年ぶりの夏の甲子園大会開催へ努力を続ける事務局の後輩たちを見守ってきた。行動力、発想力、幅広い人脈で春夏大会をけん引した“日本高野連の顔”の1人が、区切りの日を迎える。

◆田名部和裕(たなべ・かずひろ)1946年(昭21)2月27日、兵庫県生まれ。葺合(ふきあい=兵庫)から関大を経て、68年に日本高野連事務局入り。93年に第6代日本高野連事務局長に就任。05年まで同職で4人の会長のもと、阪神・淡路大震災直後の大会運営、特待生問題などに尽力した。参事を経て10年から日本高野連理事。