東洋大姫路(兵庫)が高知に惜敗し、今大会限りで勇退する藤田明彦監督(65)は最後の指揮になった。

4点を追う8回、2点を返す意地も、1歩及ばなかった。それでも「感無量です。ありがとう、と感謝の言葉を伝えたい。特別な力のない子たちがここまで連れてきてくれた」と話した。

エース森健人投手(3年)が5回につかまった。1死一、三塁。山下に初球を左翼線に運ばれ、先制点を許した。高橋友には詰まらせたが右前に落とされ、2失点。いずれも得意の内角球を狙い打ちされた。森は「もっと一緒に1日でも長く試合をしたかった」と険しい表情だった。

初めての甲子園。持ち味も発揮した。序盤からカーブが小気味よく決まった。4回まで無失点。森も「感触は悪くなかった」と振り返る。人生を変えてくれた球種だ。昨夏の兵庫大会。神戸国際大付戦で3被弾して敗退後、藤田監督から習得を勧められた。社会人の東芝府中で、強打者だった指揮官の持論がある。「人の目は横についている。カーブは高く浮く軌道で、目線も上がってしまう」。打者の目を狂わせるカーブの有効性を説いた。

昨年の新チーム結成後、投手陣は学校の視聴覚室に集まった。スクリーンに映るのは、03年センバツで4強に導いたグエン・トラン・フォク・アン投手の投球だ。森は言う。「真っすぐは130キロ台。その球速でも打者は振り遅れていた。こういう投球をできると甲子園でも通用するというのを、監督さんは見せたかったと思う」。昨秋の公式戦はカーブを駆使して3完封。センバツ出場への活路を開く、大切な球になった。

この日の試合前、藤田監督はシートノックで白球を打ち続けた。11年ぶりの甲子園。待ち望んだ黒土の感触は一生の宝物だ。「(甲子園は)私にとって人生そのもの」と話す。1度は退いた身だった。11年、チーム再建の監督に請われた。身内の反対を押し切って、再び重責を背負った。勝てない時期はインターネットで批判され、いわれなき中傷を見た娘が泣いて電話をかけてきたこともあった。それでも耐えた。同じく今大会で退任する三牧一雅部長(65)に支えられ、最後の教え子と晴れ舞台に戻ってきた。「人生、意気に感じて生きろ」。恩師の故・田中治監督の言葉に導かれてきた人生だ。夫人や娘や孫たちが見守る前で、花道を堂々と歩いた。

2期20年間の監督生活を終えたが、ナインに最後のお願いがある。「春夏の連続出場は過去に1回しかない。大きなチャンス。夏に出てもらってアルプスで応援したい」。4月から履正社(大阪)の岡田龍生監督(60)が後任監督に就く。バトンを託しつつ、教え子の成長を見守る。【酒井俊作】