鹿児島実が神村学園に7回コールド負けを喫し、夏2連覇の夢がついえた。

18日に同校OBで元阪神外野手の横田慎太郎さんが脳腫瘍のため、28歳の若さで亡くなった。宮下正一監督(50)らナインは横田さんへの思いも背負って戦ったが、弔い星を届けることはできなかった。佐賀大会では北陵、大分大会では明豊がそれぞれ4強入りを決めた。

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天国に旅立った横田さんに、弔い星を届けることはできなかった。4-9の7回2死満塁。相手6番打者の打球が、無情にも中堅小村奏太外野手(3年)の頭上を越えた。7点差が開いてコールド負け。ナインはぼうぜんと立ち尽くした。宮下正一監督(50)は「慎太郎はパワーを貸してくれたんでしょうけど、私の力が足りなかった。天国に良い報告ができればと思っていたのに…」。目を真っ赤にし、無念さを募らせた。

準決勝の神村学園戦を3日後に控えた18日の午前6時過ぎ。横田さんの父真之(まさし)さんからの電話で訃報を聞いた。「鹿実イチのスラッガー」と評する自慢の教え子の早すぎる死…。言葉にならない悲しみだった。選手らには同日の練習前に伝え、グラウンドで1分間の黙とうをささげた。横田さんがプロ入り後、野球部に寄贈してくれた2台のマシンを打ち込んできた平山翔悠(しょう)主将(3年)も、涙が止まらなかった。「横田さんはお会いしたこともある。『悔いのないように』と言っていただいた。横田さんの思いも背負って、甲子園に行かないといけなかった」。

5月19日。宮下監督はお見舞いで神戸市内の病院を訪れた。呼吸器をつけた意識のない横田さんの姿があった。宮下監督は鹿実のユニホームを掛け、ベッドの横で1時間、涙ながらに必死に語り続けたという。「絶対に帰ってくるんだぞ! 絶対に戻ってくるんだぞ!」。だが、願いは届かず、60日後に帰らぬ人になった。「なんであんなにもいい子が、こんなにも試練を与えられるんだ…」。悔しさしかなかった。

19年の引退試合で横田さんが見せた「奇跡のバックホーム」は自著となり、ドラマ化もされた。病と闘い不屈の闘志でグラウンドに帰ってきた勇姿は、1年生部員も含めて知らない者はいない。ラストミーティングには涙雨が降り注いだ。「試合で勝って笑って、負けて泣いてってできるのは生きているからなんですね。慎太郎の思いは語り継いでいきたい」。涙をこらえ、魂を受け継いでいくことを誓った。【佐藤究】

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