星稜が2年連続22度目の優勝を飾った。

プロも注目するエース武内涼太投手(3年)は歓喜の輪の中で、安堵(あんど)の表情を浮かべていた。5四球、2暴投と制球が乱れ、5回途中4失点(自責1)で降板。優位な展開から一転して接戦に持ち込まれた。だが、山下智将(としまさ)監督(41)は「よく投げてくれました」とほめたたえた。

不振が長引いている。今大会も4試合に登板したが「10点もないくらい」と自己採点した。「フォームをずっと考えてきた3年間だった。もっと自分の体のことを理解しないといけない。こんな状態ではチームを助けられない。甲子園までの期間でレベルアップして、調子を上げていかないと」。そんな状態でも背番号1を託され、決勝のマウンドを任された。

先発を告げられた前日26日、大胆なフォーム変更を決断した。右腕のテイクバックを小さくする「ショートアーム」を取り入れた。テイクバックから体重移動するタイミングがずれることが大きな課題だった大型右腕。必死にベストを探るうち「理想のスタイル」というオリックス山下舜平大からヒントを得て、ショートアームに挑戦した。

山下監督は中山敦投手(3年)ら安定感で勝る投手よりも武内をあえて指名した理由を語った。「最後は気持ちかなと思いまして。ここまで来たら調子どうこうではない。どちらにしろ接戦になりますから」。もがき続けるエースの意地を求め、送り出した。

5番打者でもある武内は、降板後も主力として務めを果たそうとした。5-5の8回。チャンスで打席が来た萩原獅士(れお)内野手(2年)に声をかけた。「自分が甲子園を決めるって言ってたよな。決めてこいよ」。大会前、チームメートを前に誓った後輩の言葉を忘れていなかった。萩原は熱戦に終止符を打つ決勝の中前打を放ってみせた。

目標は全国制覇だ。奥川恭伸(ヤクルト)山瀬慎之助(巨人)のバッテリーで準優勝した19年夏の躍進を見て、福岡・久留米東ボーイズでコンビを組んだ近藤真亜久捕手(3年)とともに石川にやってきた。

先輩超えを果たすためのスタートラインに立った。右腕は激戦続きの石川大会を終えて「まだ折り返しです」と力強く言った。【柏原誠】

◆星稜 1962年(昭37)創立の私立校。生徒数1634人(女子844人)。野球部は62年創部で部員数84人。甲子園出場は春15度、夏22度目。夏は準優勝2回。主な卒業生は元ヤンキース松井秀喜、ヤクルト奥川恭伸、サッカー元日本代表本田圭佑ら。金沢市小坂町南206。鍋谷正二校長。

【高校野球 各地のスコア・日程】