今年に入って元プロ選手が高校野球の指導者となる条件が緩和された。その条件の適用第1号として日本学生野球協会から認められたのが阪神、日本ハムなどでプレーした伊達昌司氏(35)だ。昨年から公民科教諭として勤務する江戸川(東東京)で4月に助監督に就任し、同校初の甲子園出場を目指している。

 シート打撃のマウンドに「伊達投手」がいた。武器だったスライダーも交え全力投球。久保勇人主将(3年)が「元プロを打てば自信になる」と話す。投手陣にはプロ仕込みのトレーニングを教えた伊達助監督は「この年代の選手は目に見えてうまくなる」と、就任後の3カ月を振り返った。

 巨人時代の06年を最後にプロ6年間で現役引退した。まだ31歳だった。不合格となったトライアウト後、「やり残したことはない」と吹っ切った。終わってみると、学生時代を含め周囲に支えられてきたことを悟った。「サポートする立場に」と教育現場を志した。

 翌年から母校法大に2年通い教員免許を取得。「中学でも教えたい」と中高共通募集の東京都での教員試験合格を目指した。09年は神奈川の特別支援学校で臨時的任用教員(常勤講師)として勤務した。正規採用は狭き門だけに、2月の日本学生野球協会の条件緩和で、神奈川時代が在職期間に含まれたのが「何よりうれしかった」と語る。

 江戸川に赴任した昨年はサッカーと陸上の副顧問。「野球指導へのこだわりはなかった」という。だが、芝浩晃監督(35)は本心を見抜いた。遊びがてら2人でキャッチボールした。「伊達先生は投げるたびにヒートアップしてきた」。ボールを握った元プロの情熱を感じた同監督は2人での指導を希望し、当初の見込みより1年早く実現した。伊達助監督はベンチで芝監督をサポートする。

 法政二(神奈川)時代は主戦投手の1人だったが夏の大会の出場はない。「第1シードだった3年時も初戦で負けて出番がなかった。悔しさのあまり、涙も出なかった」と言う。この夏、初めての教え子と感涙にむせびたい。【清水智彦】

 ◆伊達昌司(だて・まさし)1975年(昭50)8月23日生まれ。神奈川・川崎市出身。法政二-法大-プリンスホテル。00年ドラフト2位で阪神入団。日本ハムに移籍した03年は51試合に登板。05年から巨人でプレー。06年引退。プロ通算成績は146試合12勝7敗9セーブ。防御率3・33。家族は夫人と1女で、父泰司氏は元ロッテ選手。

 ◆プロ退団者の学生野球資格回復

 (1)高校教諭として通算2年以上在職した者(2)大学専任教員(教授、准教授、講師、助教)として通算2年以上在職した者が、日本学生野球協会の適性審査を受けることができる。今年2月の学生野球憲章規約改正に伴い(1)には常勤の臨時講師の期間も含まれることになり、神奈川県内で1年臨時講師を務めた伊達氏が、緩和後の適用第1号となった。(2)は従来と変わらない条件だが、09年3月から朝日大の経営学部ビジネス企画学科助教を務めた喜多氏が初の適用となった。