日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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本年度、野球殿堂入りを果たした第5代日本高等学校野球連盟会長・脇村春夫氏の表彰式が、甲子園大会期間中の15日に執り行われる。長きにわたって断絶されていたプロ・アマの関係改善に尽力し、日本球界を歴史的な快挙に導いた。

1949年(昭24)、湘南(神奈川)で2年だった脇村さんは、創部4年目で甲子園初出場、初優勝を遂げる。東大、東洋紡でプレーを続け、シニア世代になっても還暦野球、東西財界人野球などに熱心で、根っからの野球人だった。

当時、高野連事務局長だった田名部和裕理事は「永遠の野球少年」という。02年(平14)11月、会長に就任した脇村さんは、春秋の地区大会、離島などを巡回した際、バッグにユニホームをしのばせた。突然訪れた練習でノックを試みて周囲を驚かせたようだ。

最初に脇村さんが受けた質問は「なぜプロ野球OBは高校生と話もできないのか?」だった。問いただした主は、湘南の1年後輩、後に「プロ野球ニュース」のキャスター佐々木信也氏。すぐに理事会で活発な意見交換をはかり、打開に努める。

プロ・アマ雪解けの発端は03年12月、現役プロ選手による高校生を対象にしたシンポジウム「夢の向こうに」の実現。前年8月、田名部氏が労組プロ野球選手会の松原徹事務局長(故人)から相談を受けた。プロからのボール贈呈、直筆の応援メッセージ集が高校側に渡って「夢の向こうに」につながっていく。

この流れには、もう1人のキーパーソンがいる。04年1月末で任期を残して退任が決まっていたNPB川島広守コミッショナー(故人)。脇村さんは同9日にNPBで会談をもち、ついに28日にプロ・アマ間で覚書が締結された。

脇村さんは「プロとの関係を阻害する恐れのある行為があった時は、双方で事実関係を調査し、違反があった時には厳正に処分をする」と一項の追加提案をした。裏金問題がくすぶったプロ野球界のタブーに踏み込んだ「処分」の2文字を受け入れたのは、川島コミッショナーの覚悟だったといえる。そして3日後にその座を退くのだった。

その後は、ドラフト前のトラブルを避けるためのプロ志望届提出の義務付け、甲子園大会でプロのスカウト席が設けられるなど、さまざまな改正が進んだ。なによりプロの母校での練習解禁は日本の野球文化に大きな影響を与えた。

田名部氏は「プロ・アマについては8割は改善できたと思っている。あとの2割はメジャーリーグとの関係で、ここは必ずしも完全ではない」と語った。永遠の野球少年の功績をたたえつつ、さらにプロ・アマが進むべき道を考察する“夏”を迎えた。