16年前の2004年5月27日、阪神のルーキー、鳥谷敬内野手がプロ初本塁打を放った。1年目は101試合に出場し235打数59安打、3本塁打、17打点、打率2割5分1厘。この年9月6日の対ヤクルト戦から、18年5月27日の巨人戦まで、歴代2位の1939試合連続出場を記録した。昨季限りで阪神を退団。今季からはロッテでプレーする。

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低弾道を描いた白球の軌道は矢のような速さでバックスクリーン右に到達した。鳥谷だ。開幕から45打席目で、ついにプロ初本塁打を放った。

「間を抜けてくれと願いながら走りました。いったとは思わなかったけど、入ってくれて良かったです。うれしかったです!」。

2点リードした8回裏。先頭打者として打席に立った。横浜東の5球目、142キロ内角速球を思い切り叩いた。「入る瞬間を見てないんです。(ベースを)周っているときも打ったという感じじゃない。人が打ったホームランでかえってきた感じです」。岡田監督も「いいダメ押しになった」と称賛。まさに夢心地の初体験だった。

開幕からプロのレベルの高さに苦しんだ。春季キャンプから続いた藤本とのショート争いに敗れた。打率は1割台に低迷した。「打つ打てないで気持ちが浮き沈みすることはあった」。それでも情熱だけは失わなかった。打開策として、速球に力負けしないことをテーマに掲げた。暇さえあれば、バットを振り込んでいる。「結果が出ていない分、振っていく中できっかけをつかみたかった」。連日の特打が生んだ結果だった。

大学時代も逆境の中で初アーチを放っていた。早大に入学した00年の春。東京6大学の開幕まで1週間を切ったある日。鳥谷は走塁練習中、一塁に手から帰塁。その瞬間、右手の指の間に痛みが走った。亀裂骨折。それでも弱音を一切吐かなかった。テーピングで頑丈に固めて出場。開幕2試合目の4月9日。激痛に耐え抜き、明大戦で左翼席に1号弾を放った。

初めてのお立ち台。「なかなか最後まで出ていることはなかったので、アウトに取った瞬間、気持ち良かったです!」。甲子園に初めて肉声を響かせた。岡田監督も「調子自体が凡打にしても違ってきてる。まだまだ100試合あるんや。これからや」とゲキを飛ばした。どん底まで落ち込んだルーキーが、いよいよ逆襲を開始する。

※記録、表記などは当時のもの