祝! 日本一!! 20年開幕が近づき、予祝メンタルトレーナーの大嶋啓介氏(46)が交流のある矢野燿大監督(51)に「予祝レター」をしたため、日刊スポーツに寄稿した。失敗を恐れずに挑戦する姿、昨季終盤のクライマックスシリーズ進出の背景にあった野球への感謝の心…。19日に開幕を迎える2年目の矢野阪神へ、“祝福エール”を送った。

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矢野阪神タイガース、日本一、おめでとうございます。そして、たくさんの勇気と感動を、本当にありがとうございました。矢野監督が胴上げされた瞬間、涙が止まりませんでした。監督の言葉を詰まらせながらの優勝インタビューは日本中が大感動していました。

監督の予祝通り、タイガースが大逆転につぐ大逆転で日本一になったことは、新型コロナウイルスの影響で元気がない日本中に勇気を与えてくれました。

特に、僕が印象的だったことは、逆転勝利の数が、プロ野球過去最多だったことです。矢野監督は、いつも言われていました。

「ピンチはチャンスだ。困難や逆境こそ、It's 勝笑 Timeの魅せどころだ」

ピンチの時に空気が悪くなるのか、イッツ・ショー・タイムで「よし、面白くなってきた!」と思えるのか。その言葉通り、どんな困難でもチャンスととらえ、チームの空気は盛り上がり、楽しんでいました。その影響もあるのでしょう。小、中、高、大学生や社会人野球の選手までもがベンチ内で「ピンチはチャーンス!」が広まっていましたね。

監督は、2軍監督をされていた18年当時から選手の可能性を引き出すため「野球を楽しむ」「超積極的」「誰かのために」を大切にされていました。その結果、ウエスタン・リーグ新記録のチーム盗塁数で優勝されました。僕が感動したのは、監督がリーグの過去最多盗塁数よりも「過去最多の盗塁失敗数だった」と、うれしそうに話されていたことです。盗塁を狙う企図数もリーグで歴代最多でした。監督は選手に失敗を恐れさせず、常に挑戦させていました。選手の可能性を選手以上に信じ「成長するのがうれしい」と話されていました。選手の可能性を最大限に引き出され、今年の優勝につながりました。

最高に力を発揮するメンタルの状態は、野球できることが楽しくて、野球できることに幸せ、喜びを感じている時だと言われています。これ以上に力を発揮するメンタルはないでしょう。昨季終盤、6連勝でクライマックスシリーズ進出を決めた大きな要因に、横田慎太郎選手の引退試合があったと思います。脳腫瘍の後遺症で、志半ばでユニホームを脱ぐ。監督や1軍選手が2軍戦に駆けつけました。野球できることは当たり前じゃない、やりたくてもやれなくなった選手がいる、野球できるありがたさや幸せがある…。みんなが肌で感じ、今季につながる6連勝だったと思います。

夏の甲子園が中止になると監督は選手と高校球児に「甲子園の土」を送られました。その高校生が全国から球場を訪れ、日本一を喜んでいたのも感動的でした。監督はいつも「泥臭く、一生懸命で、子どもの見本になる高校野球のような野球をしたい。日本中の子どもたちに野球の楽しさや素晴らしさを伝えていきたい」と話します。その言葉通り、街でも野球を楽しむ子どもが増えたと感じます。

矢野監督は、いつも志に生きる姿を見せてくれました。「こんな時だからこそ野球を通じて、日本中に元気を届けたい」と話していました。先頭に立って野球を楽しむ姿はリーダーとしてのあるべき姿でしょう。タイガースが頂点に立ったことで「It's 勝笑 Time! オレがヤル」が日本の合言葉になり、コロナ禍からの夜明けのファンファーレになりました。監督、そして、阪神タイガースの皆さん、たくさんの勇気と感動、夢と希望を本当にありがとうございます。日本一、おめでとうございます。

◆大嶋啓介(おおしま・けいすけ)1974年(昭49)1月19日、三重・桑名市生まれ。居酒屋から日本を元気にすることを目的に「株式会社てっぺん」などを設立し、予祝メンタルトレーナーとしても活躍。主な著書は「前祝いの法則」(フォレスト出版、ひすいこたろう共著)「世界一ワクワクするリーダーの教科書」(きずな出版)など。

◆矢野監督と予祝 読書家の矢野監督が大嶋啓介氏とひすいこたろう氏の共著『前祝いの法則』を参考にしていることもあり、昨年から大嶋氏と交流が始まった。予祝は、あらかじめ喜び事を達成したとして前祝いするもの。春の花見は花を稲穂に見立て、秋の豊作を前もって祝うものだ。

矢野監督は昨年2月から「優勝しました」と宣言。開幕前にナインに配布した『前祝いの法則』は、いわばバイブルだ。今季、指揮官は予祝をさらに具体化。シーズン前に日本一を予祝して、新型コロナウイルス感染拡大で活動休止中も、日本一になった際の優勝監督インタビューを行った。

大嶋氏は08年の北京五輪ソフトボール日本代表にメンタル研修を行い、金メダルに貢献。また、15年から19年まで高校野球の約80校でも研修し、22校が甲子園出場した。矢野監督は大嶋氏と親交を深め、著書「世界一ワクワクするリーダーの教科書」にも共感する。