特別なシーズンを制し、9度宙を舞った。巨人原辰徳監督(62)が、マジック1で迎えたヤクルト戦に引き分け、2年連続38回目の優勝を決めた。新型コロナウイルス感染拡大で開幕が約3カ月遅れた前例のないシーズン。球界全体をけん引するリーダーシップと、逆転の思考に基づくチームマネジメントで難局を乗り切り、2リーグ制以降では50年の松竹(11月10日)以来史上2番目に遅く、頂点に立った。今季は川上哲治氏の球団最多監督通算1066勝を抜き、名実ともに歴代NO・1監督に到達。8年ぶりの日本一を目指し、日本シリーズ(11月21日開幕)に挑む。

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晩秋の東京ドームに、温かい拍手が広がった。延長10回表を無失点に抑え、優勝が決まる。原監督がベンチを出て両手を掲げた。まだこの世に生まれる8年前、1950年以来70年ぶりとなる史上2番目の遅さで特別な頂に立った。

福岡・大牟田から神奈川に移住した少年時代。「夕方になると、母は西の空を見上げていつも泣いていた」。それが原家の原風景。郷愁に耐え、東海大相模で天下を目指した父貢さんの挑戦を家族でともにした。本拠地での優勝は、生前の父に最後の胴上げを見せた13年以来になった。

前例のないシーズンを戦った111試合目。引き分けでの優勝は巨人史上初。グラウンドでマイクを握った指揮官に、1年前に流したうれし涙はなかった。「僅差の勝負。ペナントレースを象徴するゲームだった」。

62歳になっても、幼少期から脈々と受け継いだ「挑戦」をグラウンド内外で止めることはない。緊急事態宣言が続いた5月8日。全体練習もできない暗闇の中、都内で抗体検査を受診。指先から少量の血を抜くだけで陰性を確認した手軽さに興奮し、そのまま大手町の球団事務所に直行した。

誰が感染者か、日本中が疑心暗鬼に包まれた時期。上層階の山口オーナーの部屋に向かい、選手、スタッフらチーム全員の抗体検査を直訴した。「安心、安全の中で、胸と胸を突き合わせるのがプロの勝負」。

今季は自軍の勝利だけではなく、12球団でシーズンを全うすることが重要。巨人が全選手の検査を初導入したことで、全球団が1カ月に1回PCR検査を受診する流れにつながった。今も遠征のキャリーバッグには常に抗体検査キットを3個忍ばせ、身を律し、有事に備えて戦い続けた。

誰も経験したことがないコロナ禍で、首位を譲ったのはわずか2日。過密日程が続く120試合制シーズンで貫いたのは「逆転の思考」。「ピンチはチャンス。ピンチをピンチで終わらせるのはただの凡事だな」。11点を追う8月の阪神戦で登板させた野手の増田大に、その後も2試合ブルペンで準備させた。連戦中は途中交代した坂本、丸らの主力、登板後の投手を試合中に自宅や宿舎に帰した。ケガを未然に防ぎ、試合後の報道対応もない状況を有効活用。「明日への準備。ちょっとした至福だよ」。

9月に元木ヘッドコーチが虫垂炎で離脱すると、次代の監督候補の阿部2軍監督を1軍に呼んだ。原監督はヘッドコーチだった01年、当時の長嶋監督に采配を任されたことがある。「慎之助は謙虚さ、素直さがある。相当な知識を持っているけど、みじんも見せない。過信がない」。14試合、帝王学を肌で感じさせた。

選手を育て、指導者を育て、組織を前進させながら逆風に立ち向かった。5年ぶりに優勝した直後の昨秋キャンプ。若手に毎朝2分間スピーチを課すことから連覇への道をスタートした。2年後の目標年俸、乗りたい車…、志を言葉にすることを求めた。「自分の未来を語れない選手は、いい選手にはなれないんだ」。8年ぶりの日本一を懸ける戦いは、西の空の先にある京セラドーム大阪で開幕する。昨季より39日遅く到達した特別な頂点。オレンジ色の手袋をした仲間の手で、9度宙に押し上げられた。【前田祐輔】

▽巨人山口オーナー 苦難の年こそ優勝しようと、球団ぐるみで頑張ってきました。例年とまったく違う、厳しいペナントレースを全員の力で制し、ジャイアンツの長い歴史の中でも大きな意義のある優勝と受け止めています。このところの失速は反省点です。一丸となってチーム状態を改善し、8年ぶりの日本一をつかみ取りたいと願っています。