悔しさを力に変える。侍ジャパン大学代表候補に初選出された札幌出身の国際武道大・原田桂吾投手(2年=北照)だったが、コロナ禍で12月の強化合宿が中止になり、貴重なアピールの機会を失った。昨秋の千葉県大学リーグでは最多勝、最多奪三振など4冠に輝きブレーク。成長株左腕は気持ちを切り替え、今春のリーグ戦で進化した姿を披露し、22人の最終代表生き残りと8月の第1回アジア大学選手権(中国)出場を狙う。

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チャンスは自ら切り開く。原田にとって昨年12月の代表候補合宿は、名前を売り込む絶好の機会だった。中止はショックだが、新たな目標を定めることで、気持ちを高ぶらせている。

原田 切り替えて春のオープン戦、リーグ戦に目を向けている。まず冬場に体重(70キロ)を5キロぐらい上げて(最速144キロからの)球速アップにつなげたい。昨年は果たせなかったリーグ制覇と最優秀選手を狙う。

高3夏は北照エースとして、南北海道大会4試合36イニングを1人で投げ抜き優勝。甲子園では初戦の沖学園(南福岡)戦で9回4失点完投負けし、全国大会での雪辱を目指して大学に進んだ。

原田 高校では変化球の制球に自信がなかったが、大学で投げ込むうちに変化球でストライクを取れるようになった。球種もスプリット、スラーブに加えてカーブ、チェンジアップ、カットボール、ナックルを覚えて配球の幅が広がった。

独特な左横手投げのフォームはそのままに、変化球を増やし進化。昨秋は最多勝(4勝)、最多奪三振(41個)、ベストナイン、新人賞の4冠。チームは2位だったが、千葉県大学リーグ記録の防御率0・20をマークした。

代表候補初選出で新たな夢も芽生えた。同代表の守護神だった伊藤大海(23=苫小牧駒大)が日本ハムのドラフト1位、河村説人(23=星槎道都大)がロッテに同4位でプロ入りした。

原田 卒業後は社会人でやれたらいいなというぐらいの考えだった。この先のアピール次第だが、代表候補に選ばれたことで、もしかしたらという思いも出てきた。大学代表22人に生き残り、伊藤さんや河村さんのようになれたら。

同期の奮闘もカンフル剤だ。北照でバッテリーを組んだ星槎道都大・三浦響、主砲だった岡崎翔太(ともに2年)が、昨秋の北海道6大学リーグ制覇に貢献。

原田 響がベストナイン。岡崎も優秀選手と、みんな頑張っている。いつか神宮で対戦できたら。

かつての戦友と道内外で刺激し合い、進化を図る。【永野高輔】

 

◆原田桂吾(はらだ・けいご)2000年(平12)5月20日、札幌市生まれ。発寒東小2年時に発寒ジュニアファーターズで野球を始める。札幌西陵中から北照に進み、2年秋からベンチ入り。3年夏はエースとして甲子園出場。国際武道大では1年春のリーグ戦で初勝利。昨秋は最多勝、最多奪三振、ベストナイン、新人賞。好きな選手は日本ハム宮西、米レッドソックスのクリス・セール。特技は六面立体パズル。171センチ、70キロ。家族は両親と兄、妹。左投げ左打ち。

◆侍ジャパン大学代表とプロ 19年同代表エースの森下暢仁投手(明大)は同年ドラフト1位で広島入団。20年ドラフトでも、代表歴のある佐藤輝明内野手(近大)が阪神、早川隆久投手(早大)が楽天に1位で入団した。北海道関連では13年代表で帯広大谷出身の杉浦稔大投手(国学大)が、同年ヤクルトに1位で入団(17年途中に日本ハム移籍)。16年の水野滉也投手(東海大北海道)は同年2位でDeNA入り(19年引退)。日本ハム初の道産子1位指名選手となった伊藤大海投手(苫小牧駒大)も、18、19年と2年連続で代表入りし、抑えとして活躍した。