東京五輪開催の不規則なシーズンに阪神が首位を快走している。前回の東京五輪イヤーだった1964年(昭39)も阪神が優勝した事象もあって機運が高まってくるだろう。

感心しているのは快進撃を分析していた85年阪神日本一監督、吉田義男による“読み”の深さだ。佐藤輝の活躍に「ミスター長嶋茂雄」の名前を引き合いに出したのは、吉田が初めてだった。

巨人とのオープン戦で本塁打を放った佐藤輝に「長嶋の再来」と表現した。長嶋がデビューした58年を知る吉田は「このスケールの大きさには誰もがかなわんと思ったはずです」と述べたのだった。

最初は正直、過大評価と思ったが、開幕からの佐藤輝は目を見張る。そして5月28日西武戦で新人では長嶋以来の1試合3本塁打で世の中に広く“長嶋級”と流布されるのだった。

今でも吉田は「総合力では長嶋がはるかに上ですわ。でも佐藤輝にはそういう雰囲気を感じました。阪神が世代交代に成功したのは佐藤輝加入による相乗効果です」という。

そういえば「わたしのマルテの評価は低かったが、今年はマルテが上かもしれない」とも語った。1年前はボーア、ボーアと騒がしかったが、この人だけは「サンズが上です」と論評していた。

「今牛若丸」と称された伝説の名遊撃手、魑魅魍魎(ちみもうりょう)といわれストーブリーグがお家芸だった阪神で3度も監督を務めた。天国も地獄も見てきた男の古巣に対する予見はキャリアと実績に裏打ちされたものだ。

「わたしにはあれだけ三振できる佐藤がうらやましいんです。わたしは体が小さかったから三振するほど振り切れなかった。当てるだけではヒットにしかなりませんからね」

佐藤輝は60試合に出場して88三振を喫している。「(試合数の倍の)120三振ならあきませんが、88の三振で打率2割7分4厘なら問題おませんやろ」。これも大物新人への“吉田流”の激励だ。

前回の東京五輪年の優勝メンバーは、エースに村山実、バッキーがいて、4番は山内一弘…。1番でショートだった吉田は「大、大、大逆転の優勝でした」と振り返った上で、今シーズンの阪神にも触れた。

「五輪で約1カ月も試合がないのはいやなもんでしょうね。監督もいろんなことを考えてしまう。試合が進んでいくと、これまで味わったことのないプレッシャーも感じるでしょう。それを乗り越えていかんとあきません。最後は矢野監督の采配にかかってくる。焦らんことです」

今でも1、2軍戦をチェックするのが日課。「わたしの体にはタテジマの血が流れている」というレジェンドだけに、先を見通す言葉に思わず耳を傾けた。【寺尾博和編集員】(敬称略)